[さいごのかぎ]Townmemoryの研究ノート

創作物から得た着想を書き留めておくノートです。現在はTYPE-MOONを集中的に取り上げています。以前はうみねこのなく頃にを研究していました。

ブルーブックと地球白紙化に関するわりと壮大な話(置換魔術4)

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■うみねこのなく頃に もくじ■

FGO:ブルーブックと地球白紙化に関するわりと壮大な話(置換魔術4)
 筆者-Townmemory 初稿-2025年2月1日



 FGO(Fate/Grand Order)に関する記事です。
 掲題について取り上げます。

 ブルーブックとは何者なのか、ブルーブックはトラオムのマスターだったのか、白紙化地球と関係あるのか、それらはこの物語にどう関わっているのか。
 そういうことについて、現状の情報から、何らかの有意なバックグラウンドストーリーを再構成してみようという試みです。

 先回りしておきますが、本稿が奈須きのこさんの頭の中にあるアイデアと一致しているかどうかについては、原則、興味がないです。当ブログにおける筆者の興味は「自分の頭から何が出てくるのか」です。

 本稿は原則的に私の想像です。なるべくドラマチックなものを出力しようと試みています。
 本稿執筆時に筆者が持っているのは「奏章3アーキタイプ・インセプション」までの情報だと思って下さい。

 なお本稿は一連の記事「置換魔術シリーズ」に連なります。直前の記事「FGO:マリスビリーの目的と事象収納(置換魔術その3)」を読んでおいていただくと理解が容易になる可能性があります。

 ちょっと長いので、休み休み、お読み下さい。


■ブルーブックとは何か

 FGO第二部には、デイヴィッド・ブルーブックという謎の人物の旅行記が、ときおり挿入されます。

 この人物は、おそらく白紙化を生き残った最後の人類です(カルデア勢は除外するとして)。
 ブルーブック氏は人類が謎の樹木型宇宙人に絶滅させられるところを目撃し、世界が白紙になるところを目撃し、「なぜ、そうなったのか」という理由を求めて、オーストラリアからアメリカ合衆国ネバダ州のエリア51までオートバイで旅します。
(白紙化によって、海洋も平面になってるようですね)

 どうやら人類が宇宙人を人体実験したので報復にあったんだ、ということがわかり、地下の手術室にたどり着いたところで、赤くてグロテスクな謎の怪人によって射殺されました(たぶん)。

 その後トラオムでカルデア一行はこの手術室(らしき場所)にたどり着き、死体を発見し、この死体がトラオム特異点を作ったマスターらしいということを知ります。

 ブルーブックは、白紙化地球や第二部の事件の重要イベントに遭遇した重要人物らしい、という雰囲気になっています。でも具体的に、上記のエピソードが第二部の物語のどういうところにどう接続しているのかははっきりしません。


■検体E

 地球に落ちてきて、地球人に回収され、エリア51の手術室で100年間人体実験を受けた宇宙人がいたとされます。

 2016年にエリア51にいた研究員はこれを「検体:E」と呼び、
 2117年ごろ(推定)エリア51にたどりつき、記録を読んだブルーブックは「E検体」と呼び、
 トラオムで登場した若いモリアーティは「被検体:E」と呼びます。

 この表記ゆれにもし意味があるとすればそれは何か、については多少考えがありますが、今は置いておきます。

 本稿では「検体:E」と「E検体」と「被検体:E」は、同一のものとして扱い(今のところは)、暫定的に、どれでもない表記「検体E」を使います。


■検体Eとカルデアスの白紙化に関する情報まとめ

 ブルーブックと検体Eまわりの情報を、作中に出てきた順にならべるとこうなります。忘れているのを思い出すのにご利用ください。
(冗長ですので、知ってる人は次項に飛んでください)

・宇宙人の襲撃により、人類は3か月でほぼ絶滅して地球は白紙化した(ブルーブック談)
・ブルーブック、オートバイでオーストラリアからエリア51へ向かう。
・2016年のエリア51研究員、樹の根状の宇宙人「検体:E」の救命活動に入る。
・ブルーブックが立ち寄った残留物エリア、建築が前衛的(だがブルーブックは疑問を持たない)。
・ブルーブックのセリフ表記、なぜか伏字的になっている。
・ブルーブックの回想。(1)まず「樹枝」のドームが地球を覆い、(2)ソラから伸びてきた「樹」が人間一人一人の心臓を刺突し、(3)世界が漂白された。
・ブルーブック、実は超記憶を持っていて、映像を忘れない。
・ロシア、北欧、中国、インドの方角の空に変化があった(ブルーブック談)。
・ブルーブックの見たエリア51、白紙化していない。軍事兵器は見当たらない。
・ブルーブックの見たエリア51、雨雲があり、雨が降る。
・ブルーブックの調査。2016年ニューメキシコ州に宇宙人が飛来。エリア51は宇宙人「E検体」を、当初救命しようとしたが、その後人体実験。拷問で新たな宇宙人を呼び寄せようと画策していた。
・ブルーブック、ゼリーのような通路の先にある手術室へ。ブルーブックから見て設備がレトロ。診察台の上に枯れ木のような物体。
・グロテスクな赤い人物(左手に銃)が「待っていたよ、ブルーブック」直後に銃声、倒れる音。
・トラオムのぐだ、ブルーブックの旅の記憶を夢に見る。
・トラオムのモリアーティ、カルデア一行をエリア51に案内。基地ではなく荒野に地下通路の入り口。
・トラオムのぐだたち、宇宙の廊下を進む。モリアーティ「この先に特異点のマスターがいる。目的は汎人類史への報復」。
・トラオムのぐだたち、手術室へ。モリアーティ曰く「装置は最新式」。
・モリアーティ「これがトラオム特異点すべての始まり、100年前に地球に落ちてきたとされる生命体、100年間この場所であらゆる実験に晒され、人類への憎しみを募らせたもの、被検体:Eだ」
・手術室の診察台に樹の枝、床に血管人間。
・ぐだ、手術室で異星の巫女を目撃。


■広く言われている説で賛同するもの

 ブルーブックの視点では、
「地球人が宇宙人を人体実験した」→「宇宙人が地球に報復して地球白紙化した」
 という感じになっています。これは現状それでいいと思います。

 ブルーブックが到達した手術室は、我々の目からみるときわめて現代的ですが、なぜかブルーブックは「レトロだ」と評しています。
 モリアーティは検体Eを「100年間実験にさらされた」といっています。検体Eは100年間手術室にいたのです。
 100年、といえば、カルデアス。
 カルデアスは100年後の地球をシミュレートしたシムアースみたいなもので、地球時間が2017年(ぐだが白紙化を目撃した年)のとき、カルデアスは2117年です。
 エリア51の研究員は、2016年に検体Eが飛来した、といってます。2016年から人体実験が始まり、2117年まで続いたのなら100年くらいになります。

 こうした情報から、
「ブルーブックは2117年のカルデアスにいたカルデアス人類である」
「ブルーブックの体験は、原則、2117年のカルデアスにおけるものである」

 という説が広く通用しています。これもその通りだと思います。


■問題の分解

 さてここから先ですが。
 ブルーブック、検体E、トラオム、白紙化、カルデアス、U-オルガマリー、マリスビリーの思惑、といったことは、すべてが複雑にからみあっていて、めちゃくちゃややこしいので歯が立ちません。変数が多すぎます。

 なので、私の頭で取り扱い可能なサイズまで問題をサイズダウンします。

 まず、「カルデアスにオルガマリーが落ちた」という情報を頭から取り除きます。マリスビリーが何を考えていたのかというのも横に置いておきます。「異星とはカルデアスのことである」というのもややこしそうなので外します。

「ブルーブック、宇宙人(検体E)、白紙化」

 取り扱う情報がこの3つしかなかったらどういう話になる? というところから始めます。


■ブルーブック、宇宙人(検体E)、白紙化

 ブルーブックがエリア51の調査で知ったところによると、検体Eは謎の電磁波を発しており、おそらく同胞にSOSを発しているとのことでした。
 なのでブルーブックが生前に入手した物語はこうです。

・人類、宇宙人(検体E)を拷問
・検体E、本星にSOS
・宇宙人、人類に報復。人類絶滅および白紙化


 FGOの物語上では、現在、「地球の表面とカルデアスの表面が魔術で入れ替えられた」ということになっています。
 地球の白紙化はなぜ起こったのか。まずカルデアスを白紙化する。次にカルデアスと地球の表面を入れ替える。すると地球の表面は一瞬にして白紙になる。そして本来の地球の表面はカルデアスに保存される。

 たぶんその通りなのでしょうけど、疑問に思うのは「どうやってカルデアスを白紙化したの?」

 カルデアスはほとんど地球同然のものであり、カルデアスを破壊するには地球を破壊するのと同じエネルギーがいるそうです。だからこそデイビット・ゼム・ヴォイドは、カルデアスと地球を破壊するために、フルスペックのORTを必要としたのでした。

 ならば、カルデアスを白紙化するためには、マリスビリー氏が端末でプログラムをちょいちょいっとして、ハイできましたという感じにはいかないでしょう、きっと。
 地球そのものを白紙化するのと同じ労力が必要そうです。
 でもその労力をだれがどうやってつぎこむ?

 その答えがここにありました。
「そういう能力を持った宇宙の勢力(宇宙人)がいる」
 そいつが地球に(カルデアスに)やってくる。

 マリスビリーは、そういう存在がやってくることを知っていた。それを利用した。

 なので、地球白紙化の実行犯ならびに犯行方法は、こんな感じになりましょうか。

・ブルーブックの世界を襲った「宇宙から来た樹枝」は、検体EからのSOSをうけて報復にやってきた宇宙文明の粛清兵器である。
・人類の絶滅と地表の白紙化は、粛清兵器に備わった機能である。


 ただ、「宇宙文明」の「粛清兵器」と言い切ってしまうのは、ちょっと違和感があります。というのも。


■ヤバイ星、修正してやる

 これはフィーリングで言いますが、遠い星になんかこう銀河帝国みたいな文明があって、宇宙人たちが「チキュウジン、ホロボス…」みたいなことを言いだしたというよりは、

「宇宙そのものに備わった、秩序維持システム」

 みたいなものを想定するほうが、TYPE-MOONっぽい気がします。

 宇宙にはあまたの星にあまたの文明があるけれど、そのうちのどれかが大変ヤバイ方向に進歩してしまうことがある。
 そういうのが見つかると、ヤバさがこれ以上悪化する前に、宇宙に備わったシステムが強制的に修正をかける。

 たとえば宇宙のすべてを侵略する意思を持った文明があったらやばいから修正をかけましょうとか。
 異星人のサンプルを100年間拷問することをなんとも思わない文明があったら危険だから修正しましょうとか、そういう感じ。

 なぜ修正をかけるのかといえば、例えば、
「そういうヤバい文明から宇宙に射出されたアーキタイプはヤバさを煮詰めた蟲毒かもしれない」

『奏章3 新霊長後継戦アーキタイプ・インセプション』というストーリーが2024年に公開されました。
 それによると、星から発生した霊長(人類)は、いずれ「アーキタイプ」というものを作成して、宇宙に送り出すことになる。
 アーキタイプは、宇宙にただよい、いずれ新しい星の核になる。
 その新しい星で発生した霊長は、またアーキタイプを作って、宇宙へ射出するだろう。

 という、星→人類→星→のサイクルがあるのだ、という世界観が提示されたのです。
 そのアーキタイプがヤバイ感じに汚染されていたら、新たに生まれる星はヤバイ感じだろうし、そこから出てくる霊長もますますヤバイものになり、次のアーキタイプも当然ヤバイ。

 そういうヤバさの再生産を避けるために、どっかで歯止めがかかる機構が存在している、そいつが例の「宇宙から来た樹枝」である……という想像だと思って下さい。

 この場合、検体Eは、星々の文明がどうなっているかをチェックする調査員というか生体調査端末で、これが発した電磁波は、SOSというよりは地球人類の実態報告。この報告を受けて、「地球は修正が必要」と判断した宇宙が「樹枝システム」を派遣した、といったディテールになります。


■どのように修正するのか

 さて「地球人類ヤバイので修正をかけます」ということになりました。どうするか。

 まず地球を樹枝のドームで覆って完全に宇宙と遮断します。地球人類が逃げたりして、宇宙に地球の悪徳がばらまかれないよう隔離病棟にするわけです。「いま地球人類、こんな目にあってます!」みたいな情報が他の星に漏れないようにする意図もあるかもしれません。「粛清機構がある」という情報はそれ自体が文明の方向をゆがめますしね。

 現行の地球人類については、ヤバイのでまるごと消去します。樹枝で心臓つらぬいて一人ひとり殺します。一人ひとり殺しているのは、殺すついでに人類全体の個体情報を収集しているからかもしれません。

 次に現行のテクスチャーを没収します。テクスチャーは現行の人類が敷いたもので、ヤバさの原因かもしれないからです。地球は白紙化します。

 続いて、剪定事象になった並行世界を調べます。無数の剪定事象のなかから、「うまく育てば今よりマシな文明が発生しそうかな」というのを7つ選んで限定的に復活させます。つまり異聞帯を発生させます。
 異聞帯の維持と評価のために空想樹をたてます。空想樹は地球を覆っている樹枝のドームと接続しているそうです。

 あるていど異聞帯を育ててみて、これがいちばん強度があって将来性もあるかな? というものが選ばれ、地球全体がその異聞帯に書き換わります。

 選ばれた異聞帯の空想樹には異星の神が降りてきます。FGOの物語上にあらわれた異星の神は(外見やパーソナリティは横に置いときましょう)「地球大統領」を名乗っており、「地球人類を正しく導く」みたいなニュアンスのことを言っていました。
 樹枝システムが生成した異星の神は、新たなテクスチャーとなった異聞帯と人類を、間違った方向にいかないよう監督指導していくことになります。

 なぜ、「滅ぼしちゃって、それでオシマイ」にしないのかというと、それでは新たなアーキタイプが射出されないからです。新たなアーキタイプが生まれて、それによって別の星が生まれるのでなければ、地球を育てるのについやした宇宙エネルギー(的なもの)はまったくムダになります。なので、地球上に「もうちょいマシな人類」を置き換えて、アーキタイプが作成されるところまで見守るという作業は必要なのだろうと思います。

 異聞帯にクリプターが配置されている理由は、「異聞帯に、行き詰まらないような方向性を与えるため」かもしれませんね。
 異聞帯がなぜ剪定事象になったかといえば、それ以上発展しなくて行き詰まっているからです。これをただただ育てても、行き詰まった状態が続くだけであり、たぶんアーキタイプが作成されることはないでしょう。
 そこで、「行き詰まらなかった歴史の人類」を王様のとなりに配置する。この人物の影響で、行き詰まりが解消される可能性がある。


■ブルーブックの死の謎

 ブルーブックの死と手術室についてはいくつか不明瞭な部分があります。

1)手術室にいたグロテスクな赤い人物は誰なのか。
2)発砲音で死んだのは赤い人物なのかブルーブックなのか。
2b)トラオムでぐだが見た血管人間の死体は赤い人物なのかブルーブックなのか。
2c)ブルーブックはなぜ殺されなければならなかったのか。
3)手術台の上の「木の根」は検体Eなのか。
4)手術室は地球にあったのか、カルデアスにあったのか。
4b)手術室はレトロなのか最新なのか。

 これも例によって、すべてを同時に満たすストーリーは取り扱い困難なので、まずは(4)と(4b)のみについて考えます。

 手術室にたどりついたブルーブックは、その設備を「レトロ」と表現しています。ようするにすげー昔の機械が置いてあると。

 いっぽうシオンは、ぐだが見た手術室の設備を、「2017年と同レベル」とみています。

 普通に考えれば、「あの手術室は2017年ごろに作り出された」となります。
 ブルーブックは2117年のカルデアス人類ですので(推定)、100年後の人間が100年前の手術室を見て「レトロだ」と感じるのは当然です。

 しかし。
 ブルーブックが2117年のカルデアスの人間なら、彼がたどりついたエリア51の手術室も、2117年のカルデアスにあるもの、ということになります、ね。普通に考えれば。
 ダ・ヴィンチちゃんも「あの手術室ってカルデアスのものだったんじゃないかな」という推論を述べ、その方向で議論が進んでいました。

 その2117年の手術室に、なぜか100年前の技術しかなかった。
 なんでかわからないが100年間、機材の更新がなされなかったことになります。

 この疑問に対して、シオンとトリスメギストスが与える解はこうです。

(シオン)
解析3。カルデアス地球における研究施設の
機材は年代物であり、
2017年から2117年の100年の間に発展した技術は
すべて機能不全になっている。

『Fate/Grand Order』オーディール・コール 序


 つまり、「2017年以降の技術は何らかの理由で動かなくなっているので、2117年カルデアスの手術室は、2017年の技術で100年間やってくしかなかった」とシオンは結論付けているわけですが。

 この推論には疑問符がつくと思います。なんかすげぇ迂遠で変だと感じます。

 シオンの推論は「ぐだは地球上のトラオム特異点から、宇宙の通路を通じて、カルデアスの手術室に行けた」ということが大前提です。ぐだは地球からカルデアスに移動して、また戻ってきたってことですよね。

 この前提が成り立つなら、同時に、こういうことも成り立ちそうじゃありませんか。

「ブルーブックはカルデアスのエリア51から、宇宙の通路を通って、地球の手術室にたどりついた」

 つまり、ブルーブックから見て「レトロな」手術室は「2017年現代の地球の手術室」だった。
 ぐだがたどりついた「現代なりに見える」手術室も、「2017年現代地球の」ものだった。

 この想定をとれば、「100年間の技術的機能不全」といったトリッキーな仮説は必要ありません。2017年の手術室に2017年の技術が使われているのはあたりまえだからです。

 もし私があのときストームボーダーの管制室にいたら、絶対にそういう方向の意見を言うと思います。
 ダ・ヴィンチちゃんたちが「あの手術室ってカルデアスのものだったとしたらどうかな? でもそれにしちゃ機材が古いから変だよね」と言い出したとき、「単純に地球のだ、としておけば、機材の古さは問題でなくなりますよ」と。

「手術室は2117年カルデアスのもの説」の大きな根拠は、「死体がカルデアス人類のものだった」ことでしょう。カルデアス人類が死んでるのだから、あの場所はカルデアスだろうと。

 でも、ぐだが地球からカルデアスに行ける前提なら、同じルートを使って、カルデアス人類も地球に来られる。
 カルデアス人類の死体があるから、手術室はカルデアスだ、ではなく、
 地球の手術室に、カルデアスから来た人の死体があるのだ。
 そっちのほうも検討に値しませんか、と。

 最終的に地球手術室説が否定されるとしても、議論が深まり、結論が強固になる。ホームズがいたら、絶対にその方向も検討したはずだ。

 でもそういう意見を「シオンは言わなかった」
 言わなかったというか、そっちの方向に話が向かうのをシオンが避けてたように私には見えました。

(シオン)
事実として100年の差がある以上、そこは
『機材の更新ができなかった』と考える他ありません。

(ゴルドルフ)
う、うむ? そんな事があり得るのか?

(シオン)
そこは、そうせざるを得ない事情があった、と
考えましょう。
たとえば、予算不足、人材不足です。
(略)
その理由は重要ではないので先に進みましょう。

『Fate/Grand Order』オーディール・コール 序


 シオンは、地球手術室説を本命にしていて、なおかつそれを隠している可能性があるんじゃないかな……。

 ふたつまえの引用部(「解析3」のところ)、シオンが「技術的機能不全説」をいったとき、その直後に「オートバイなど、単純な燃焼機関であれば稼働しただろう」という例を挙げています。これ見たとき、私の中の古畑任三郎がささやきました。
「おやぁ、この人、ブルーブックがオートバイで長い旅をした逸話を知っているぞ」

 もしシオンがブルーブックを知っているのなら、隠し事をしていることになる。隠し事をしているのなら、シオンの推論も隠し事まじりかもしれない。シオンの「技術的機能不全説」がぎこちなく感じられるのは、そこに本命を隠す意図があるからかもしれない。

 ということを思っているのですが、しかし、地球手術室説には大きな否定要素があります。


■重なったひとつの手術室

(モリアーティ)
ソレ(引用者注*被検体:E)は地球の生命体ではない。
あの施設で100年もの間、人間の手で隠蔽され、
検査され、実験され続けてきた生き物の残骸だ。

『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 序章


 モリアーティによれば検体E(被検体:E)は100年間人体実験を受けています。2016年に飛来した検体Eが100年間人体実験を受けて、2117年のカルデアス手術室でぐだに再発見されたのなら計算は合います。

 逆に言うと、ぐだの入った手術室が2017年の地球のものであった場合、「100年人体実験」という条件は成り立ちません。
 もし手術室が2017年の地球のものであったのなら、2016年に飛来した検体Eが2017年に再発見されたことになりますから人体実験は1年未満です。

 こっちの要素を重視するのなら、「手術室はカルデアス産である」という推論は否定できない(地球手術室説は否定される)ことになります。が。

a)手術室の技術レベルは低いので、手術室は2017年の地球のものだ。
b)手術室の検体Eは2016年から100年間実験を受けているから、手術室は2017年の地球のものではないはずだ。


 これをうっかり同時に満たしちゃうような何らかの理屈が存在したらオモシロいのになぁ、ないのかなぁ……というのが私の考え方です。

 ところでいったん話はずれるのですが、

・地球の白紙化は、エリア51を起点に始まった。
 という情報があります。ダ・ヴィンチちゃんがそうおっしゃってた。

 一方で、
・カルデアス(ブルーブック世界)の白紙化は、エリア51のみ白紙化されずに残った。
 というブルーブックの観測があります。

 で、
・地球白紙化現象は、白紙化したカルデアスと地球とが置換魔術されたものである。
 というダ・ヴィンチちゃんの推論があります。

 これらを足し合わせると、こんな感じになりませんか。

・カルデアスと地球は、エリア51の手術室でつながっている。カルデアスと地球の置換魔術は、エリア51手術室というパイプを通じて入れ替えが行われた。

 つまり地球とカルデアスは、砂時計みたいにふたつの空間が一点でつながる接し方をしている。
 カルデアスと地球の地表の置換は、砂時計の砂が、一方の室からもう一方の室へ移動するようなイメージで行われた。

 ブルーブックは「エリア51だけ白紙化されず残っている」と認識したけれど、実は白紙化されなかったのではなく、「そこを起点に、カルデアス表面が地球に書き換わりだしている」と考えるのです。
 ブルーブックがエリア51にきて、地面や雨雲が残っているのを見たが、実はそれは「地球の」地面や雨雲なのであるということです。

 さてそうすると、砂時計のいちばんくびれている位置にあるのは、エリア51の中枢、手術室です。ここが、地球とカルデアスの接する「点」だ。
 接しているということは、点を「共有」しているということだ。

 となるとこういうことが言えそうではないでしょうか。

・エリア51の手術室は、地球の手術室と、カルデアスの手術室が、重なり合ってひとつになったものである。

 つまり現時点において、FGOの世界全体におけるエリア51の手術室はひとつしかない。本来は地球とカルデアスにひとつずつ、合計ふたつの手術室が存在したのだが、それがぴったり重なってひとつになっている

 手術室は、2017年地球の手術室であると同時に、2117年カルデアスの手術室である。

 シュレディンガーの猫のたとえ話に似ていて、手術室は50%カルデアスであり、50%地球である(といったイメージ)。

 こういう想定の場合、「2017年の機材しかない」という観測と、「2016年から100年間人体実験された検体E」という情報の両方を、あの手術室から手に入れることができそうです。
 手術室は2017年の地球と2117年のカルデアスが重なって同居した状態にあるので、2017年の地球側に存在する「2017年の機材」を観測することができるし、2117年のカルデアス側にしかない「100年たった検体E」を観測することができる。

 でも、もしそんな状態になってたとしたら、存在にゆらぎが生じているはずで、オルテナウスのサーチ結果から何らかの異常数値が検出されててもおかしくない。なのにそういう報告は出ていない。それはどうしてでしょう。

 分析結果を報告するのは結局のところとてもあやしいシオン女史です。シオンがあらかじめトリスメギストスに「手術室が重なり状態にあるという結論につながるデータを出力してはならない」というコマンドを入力しておけばそれで済んでしまうかもしれません。

 ああそうだ、異星側の勢力が、トラオムでどうしてもホームズを殺害しなければならなかった(唯一それが可能そうなモリアーティをわざわざ用意してまで)理由がこれかもしれませんね。「シオンが今後、大々的にウソをつきはじめるため」

 ホームズが手術室に到達したら、「この場所は地球とカルデアスの重なる点である(本稿の仮定)」といった真相が一発でばれてしまいそうだ。
 また、「あれ、シオン女史は、本来なら真っ先に検討しなければいけない仮説をわざと避けて通ってるな、それはなぜだ?」というところから、いろんなことを見破ってしまいそうだ。
 モリアーティは、ホームズを殺したあとになると、急にノリノリでカルデア御一行を手術室に案内しはじめます。これは「絶対にホームズを手術室に到達させてはならないが、それ以外ならよい」という動きに見えます。

 なんかこう、「カルデアに手術室の情報を与えねばならないが、そこからたどりつける真相には到達させてはならない」みたいな条件があって、そのためにホームズを排除し、そのあとでシオンがデタラメを言い始める……。人狼ゲームでいうと、霊能者を排除したあとで、ニセ占い師がニセ結果を言い始めるみたいな匂いがちょっとします。


■両方の世界にイベントが起こる

「手術室はカルデアスと地球が重なり合っている特殊なポイントだ」という仮定を、ここからさらにむやみに広げます。

(ついてこれない人もいそうなので、適当に読んで下さい)

 ほとんど同じ二つの世界が、この点でだけ重なり合っていると考える場合、ここではどんな特殊なことが起こりえるのだろうか。

 手術室は(もっと広げて、エリア51は、くらいでもいいが)、地球でもあり、同時にカルデアスでもあるという場所です(仮定)から、こういうことになるんじゃないでしょうか。

「地球の手術室で起こったことは、カルデアスの手術室でも起こったことになる」
(逆も成り立つ)

 例えばですね。
「宇宙人が落ちてきて米軍に回収される」というイベントが、地球とカルデアスのうち、どちらか片方でしか発生しなかったとする。

 かたっぽの世界で回収された宇宙人が、手術室に「入る」
 すると、もう片方の世界でも、宇宙人は飛来していないのにも関わらず、宇宙人が手術室に「入ったことになる」
 宇宙人が手術室に入ったということは、宇宙人が飛来してないとおかしいので、もう片方の世界でも、宇宙人が「飛来したことになる」

 かたっぽの世界の手術室で、宇宙人が「人体実験される」
 もうかたっぽの世界でも、宇宙人は本来飛来していなかったのにもかかわらず、宇宙人が「人体実験されたことになる」

 さてそこで疑問なのですが、カルデアス人類がロケットを作って宇宙に飛び立ったらどうなるんでしょう。
 彼らは、宇宙や、別の星々の存在を発見するんだろうか。

 発見する、と考えないと、おかしいことになるので、発見するんだろうと思います。何がおかしいかというと、「人類の宇宙開発に関する推移」がシミュレーションできないことになります。
 おそらく、現行の2017年までの地球で観測されている宇宙のデータがカルデアスに入力されていて、その範囲内で宇宙開発がシミュレーションされているとか、そんな感じでいいでしょう。
 つまりカルデアスの宇宙進出は、データ上の演算にとどまり、「本当には宇宙に進出してはいない」くらいの想定となります。だって「地球のミニチュアを作ったら、自然に宇宙のミニチュアまでついてきた」はさすがに無理がありそうですからね。

 じゃあ逆はどうでしょう。
「カルデアスに本物の宇宙人は飛来するのか?」

 カルデアスの周囲に、本物の宇宙はない想定をしていますから、「カルデアスに本物の宇宙人は飛来しない」ことになります。

 つまり「カルデアスに樹の根そっくりな宇宙人は飛来しないし、宇宙の粛清機構が到来することもない」ということになります。

 じゃあなんでカルデアスの人類は抹殺されて地表は白紙化されたのか。


■巌窟王としてのカルデアス

 前段の流れに従えば、樹の枝のかたちをした宇宙人は地球にしか飛来しません。

 よって、「2016年の地球」にのみ、樹枝の宇宙人(検体E)は飛来しました

 検体Eは地球のエリア51の手術室に搬入されます。
 手術室は、地球とカルデアスが重なる場所ですから、カルデアスの手術室にも検体Eが搬入された「ことになります」。

 地球人類は検体Eの拷問を始めます。
 カルデアスには本来、検体Eは飛来していないのですが、カルデアス人類も検体Eの拷問を始めた「ことになります」。

 このまま推移すると、100年後の地球に宇宙の粛清機構がやってきます。
 カルデアスの外に宇宙はない想定なので、カルデアスに粛清機構はやってきません

 しかし、「何者かの」「何らかの」トリックによって、宇宙の粛清機構が、カルデアスを地球だと誤認するとしたらどうでしょう。

 わたしがイメージしていたのは『ドラえもん のび太と鉄人兵団』。宇宙から来たロボットの侵略者に対し、ドラえもんは鏡の中に地球のコピーを作り出し、敵をそこに誘い込みます。敵ロボット兵団は鏡面世界を地球だと思い込んで破壊のかぎりをつくします。

 粛清機構と地球との関係でも、これとほぼ同様のことが起こると考える。粛清機構は何らかの詐術にひっかかり、2117年の地球に来るつもりで2117年のカルデアスに誘い込まれる
(この「何らかの詐術」の内容についてはこちら→「FGO:空にあいた穴の謎(本当の地球はどこにあるのか)」)


 カルデアスは地球と寸分たがわないし、カルデアスにも「検体Eを拷問した」という事実は存在してしまっています。粛清機構は誤認に気づくことができません。

 粛清機構はカルデアス人類を抹殺し、カルデアスを白紙化します。
 黒幕(たぶんマリスビリー)はほくそえみながら、白紙化カルデアスと地球を置換します。

 簡単に流れをまとめるとこう。

1)地球に検体E、落ちてくる
2)地球人類、検体Eに人体実験
3)検体E、宇宙に向かってSOS
4)宇宙の粛清機構、カルデアスを地球と誤認、カルデアス人類を虐殺
5)宇宙の粛清機構、カルデアスを白紙化
6)マリスビリー、カルデアスの白紙化表面と地球表面を置換


■トラオムのマスターの憎悪

 上記のような想定の場合、「トラオムのマスターの憎悪」をごく自然に設定できます。
 検体Eを拷問した罪は地球人類にあるのですが、罰はカルデアスに与えられたからです。

「この中にトラオムのマスターがいる」というモリアーティの紹介でぐだたちが入った手術室の中に、血管人間としかいいようのない謎の死体がありました。
 あの死体がトラオムのマスターで、その正体はブルーブックであるというのが、広く流通している説だと思います。私も現状、それでいいと思います。

 カルデアス最後の人類となったブルーブックは、死の直前に、上記のような白紙化の真相を知った(と仮定する)。
 ブルーブックが最後の命をかけても知りたかった「どうして世界と人類はこうならなければならなかったのか」の答えがこれ

 他人の罪を着せられて、すべてを奪い取られた。
 奪い取られてまっさらになった地表すら、地球にごっそりさらわれた。
 しかも、それすらも陰謀の一部にすぎず、すべては、カルデアスという世界をおもちゃのようにもてあそぶヤカラのなせるわざだったのだ。

 ブルーブックはおそらくカルデアス最後の人類であり、彼の意思や感情は全人類の感情にひとしい。彼の精神状態はおそらく全人類の集合意識に直結する。カルデアス全人類の集合意識が、地球に向かって憎悪を向け、ブルーブックはその憎悪の受け皿となる。

 ブルーブック本人の憎悪がどのレベルだったかは定かではない(それほどでもなかったフシもある)。
 けれど、カルデアス全人類の集合意識の受け皿になったブルーブックは、いやおうなく、カルデアス全人類の憎悪の代表者をつとめなければならなくなる。

(モリアーティ)
彼は、そうしなければならない立場だった。

そうする義務が、責任があった。

たとえ、本人に報復の意思がなくとも、存在として、
彼はそうしなければならない立場になっていた。

『Fate/Grand Order』死想顕現界域トラオム 22節


 カルデアス全人類の命とこれまで積み上げてきた文明が、まとめて地球の歴史の養分になったようなものだ。
 もう、地球をめちゃめちゃにしないと気が済まない。

 最も溜飲の下がる復讐方法とは何か。
 それがトラオム特異点である。

 カルデアス全人類のうちマスター適性のある全員が、地球上で、汎人類史のサーヴァントを大量に召喚する。
 汎人類史のサーヴァントに、大軍同士の凄惨な殺し合いをさせる。
 その大戦争の果てに、地球のテクスチャーが致命的に毀損されればよい。

「人類史のガーディアン」たちに醜い同士討ちをさせて、その結果、人類史がぶっこわれる。これは最も皮肉で溜飲の下がるやり方だ。

 だからトラオムのマスターは「たった一人であり」「同時に大勢であり」「三国鼎立からの大戦争が演じられ」「その情勢を作るために三国時代の張角が呼ばれた」。

 ところで疑問。
「地球への罰がカルデアスに与えられた」という真相を、ブルーブックはいつどうやって知るのか


■血管人間とネットワーク生物

(シオン)
けれどデータにある『被検体:E』の死亡時間は数日前。

『Fate/Grand Order』オーディール・コール 序


 ここでいう被検体:Eを、血管人間ブルーブックのことだとすると、ブルーブックは数日前まで生きていました。

 モリアーティとぐだが、ライヘンバッハの滝からエリア51に移動するのに四日かかっていますから、だいたい、トラオム最後の界域王クリームヒルトが死んだあたりで、ブルーブックも死んだ、くらいでしょうか。トラオムで大戦争が行われているあいだ、ブルーブックは生きていた。

 ブルーブックは血管人間と化しています。筋肉や内臓がごっそり消え失せ、脳と血管だけになり、なのに人体の形状を保っています。
 ブルーブックは死後即座に血管人間になったのでしょうか。それとも生前、生きてトラオムを維持しているころから血管人間だったのでしょうか。それとも、カルデアス人類はそもそも全員が最初から血管人間なのでしょうか。

 最後のやつがなかなかおもしろくて追及したいところですが、とりあえず前の二つについて考えます。

 生きてるあいだは肉があったけど、死ぬと同時に血管人間になったという場合。例えば今まではトラオムの維持のために必死で気を張っていたけれど、ついに力尽きて死んで、気力を尽き果たしてゲッソリやせた(かわいそう!)。

 血管人間になったのは、謎の人物に撃たれた後から、トラオムが攻略されて死亡するまでの間のどこかだという場合は?
 独力でトラオム特異点を作成維持しようとすると人間はああなる、くらいでも間に合いますが、ブルーブックを撃った赤っぽいグロ人間の赤っぽいグロさが気になります。あの人、死んだら血管人間になりそうな姿をしていた。

 そもそも人間が血管と脳だけになり、しかも血管は重力に引かれて地面に落ちることなく人体の厚みのまま宙に浮かんでるという状態は、何らかの異常な作用の結果でないとおかしい。

 あの手術室に、そんな「異常な作用」を及ぼしそうなものは「樹の根」しかない。推定ブルーブックの死体が血管人間化しているのは手術台の上にのっかってる樹の根のしわざかもしれません。

 樹木、とりわけ根っこというのは、ある種「ネットワーク」を連想させるものです。たしかキリシュタリアによれば、空想樹は空を覆う樹枝のドームと接続して(だったかな?)ネットワークを形成しているのだったはずです。


(キリシュタリア)
成層圏まで育ち切った空想樹たちは、
その枝が干渉し合い、ネットワークを形成する。

『Fate/Grand Order』神代巨神海洋アトランティス プロローグ intro.5-3

(ペペロンチーノ)
となると、空を覆う天幕と繋がっているは、
この大西洋異聞帯の空想樹だけってコトでいいの?

『Fate/Grand Order』神代巨神海洋アトランティス プロローグ intro.5-3(傍点原文ママ)


 そして脳と血管というのは、人体に縦横無尽にはりめぐらされたネットワークといえるものではないでしょうか。
 つまり手術台の「樹の根」は、ネットワークを形成することに主眼をおいた生物で、死にかけた樹の根は死にかけたブルーブックとネットワーク接続した。

 ブルーブックと樹の根は、もともとは異なる二つの端末だったが、つながってひとつのネットワークになった。
 ブルーブックは情報のやりとりを主眼とする生物に変換されていった。必要ない筋肉や内臓はそぎ落とされて、ネットワークに必要な脳と血管と神経だけが残る形になった。

 情報の交換が行われて、カルデアスの白紙化の理由を、樹の根経由で知った。

 ネットワーク生物としての力を手に入れた死にかけのブルーブックは、カルデアス人類の集合意識にネットワーク接続できるようになった。
 カルデアス人類の集合意識が、カルデアス白紙化の真相を知って憎悪にふるえた。
 その憎悪がブルーブックにフィードバックされ、彼はトラオムのマスターになり、ブルーブック・ネットワーク経由でカルデアス人類の集合意識が大量のサーヴァントを召喚することになった……。

 トラオムのモリアーティは、「ここにトラオムのマスターがいます」と言って扉を開け、「被検体:Eをご紹介します」と言って去っていきました。部屋の中には樹の根と血管人間がいました。どっちが被検体:Eなのかわかりません

 が、「樹の根と血管人間はネットワーク接続してもはや一つのものである」とすれば、これは謎ではなくなるのです。これは二つのものに見えるが一つのものである
(ここはひとつの部屋に見えるが実は二つの部屋である、の裏返しになっている)

 エリア51の研究員は、宇宙人の姿を「グロテスクな樹の根」としていました。でも手術台にはちっちゃな枝の端っこしかありませんでした。
 これを、「人体実験ですり減った」のではなく、「ブルーブックの血管に触手を伸ばして、その中に大部分入り込んでいる」くらいに想定してもいいかもしれません。
 この場合は、検体:Eがブルーブックのガワを被っているから被・検体:Eであるといった言葉遊びもできちゃいます。


 とまあ、こういったストーリーを想像し、これ結構おもしろいな、いいんじゃないかな、って自画自賛していると思って下さい。ところでブルーブックを撃ったのは誰だ。


■血管人間マリスビリー

 たぶん、「ブルーブックが死んでくれないと、地球とカルデアスの置換魔術がうまくいかない」といった事情があるんだと思います。

 ブルーブックは推定、最後のカルデアス人類です。生きている人間は、「いま、この世界にいる」という自意識をもつので、「この世界」を「この場所」につなぎとめるアンカーのような役割を果たしてしまう、といった設定はありそうな感じだ。

 カルデアスからすべての人類がいなくなれば、「いま」「ここ」を定義する意識が存在しなくなりますので、いまとかこことかこの世界という定義があやふやになり、つまり地表に定着する力が弱くなり、白紙化した表面をずるっと吸引して地球に持ってくることができる(できそう)。

 そうだとすると、ブルーブックを殺した人物は、地球とカルデアスの置換魔術を成功させたい人物です。それはマリスビリーだということになります。

 さてそのマリスビリーと思われる男は、赤黒い、ぐちょぐちょした、たいへんグロテスクな姿をしていた。ちょっと前にも言いましたが、なんかこの後、血管人間になりそうな気がする。
 じゃあ、「マリスビリーはこのあと血管人間になる」と決めてしまいましょう

 本稿の話の流れからすると、血管人間になるためには、樹の根とネットワーク接続して融合しないといけません。
 なので樹の根と融合したことにします

 本稿の説では、マリスビリーは「粛正機構がやってきて地球を白紙化する」という未来をあらかじめ知っていないといけません。でないと、「地球じゃなくてカルデアスを白紙化させて、そのあと地球とカルデアスを置換して、白紙になった地球をつかってさらなる悪巧みを実現しよう!」と思いつくことができないからです。

 でもそんなことは普通知り得ません。
 知ることができる方法はただひとつ、粛正機構の端末である樹の根とネットワーク接続して情報をやりとりすることです。

(今更なことですが、想像をかってに広げてストーリーを作っているだけなのでお気楽にお読み下さい)

 マリスビリーが接続した樹の根は検体Eとは別個体としたほうが、おもしろそうです。

 検体E以外にも、樹の根は地球に飛来していて、そのうちのひとつがマリスビリーにとっつかまって調べられ、半融合してネットワーク形成する。
 マリスビリーはネットワークをたどって、宇宙の粛正機構の存在と、仕組みを知ることになる。
 こいつを使って、いっちょ大がかりな悪巧みを起こしてやるか! 具体的には、白紙化した地球に銀河(空想樹)が散らばっているというモデルを、宇宙に見立てて、宇宙と地球をまるごと置換してやろう、みたいなことを思いつく(前回をご参照下さい)。

 マリスビリーの考えてることは、ネットワーク経由で樹の根にも把握されるので、こりゃたいへんだ! と樹の根は思う。こんなことを思いつく文明は修正しないとやばいですぜ。
 ということで100年かかって粛清機構がやってくることになる……。

 ここまでの話では、「粛清機構が粛正にやってくるのは、樹の根を拷問したからだ」ということにしていましたが、ブルーブックは「そんな理由で世界が滅ぼされることってあるのか?」という疑問もさしはさんでいました。

 その疑問に答えが必要なのだとしたらそれは、「マリスビリーみたいな宇宙強奪犯を生む文明はやばいから修正をかけよう」が有望なんじゃないかと思います。


■異星の神

 マリスビリーはデイビット・ゼム・ヴォイドにあっさり射殺されます。

 が、マリスビリーはすでに、ネットワーク形成を主眼とする情報生物と化している想定ですから、肉体の死はなんてことありません。
 自分の全情報をネットワークに送信しておけば、ネットワーク形成生物である「宇宙の粛清機構」の中に自分自身を保存しておけます。

 逆に言うと、宇宙の粛清機構の中に、マリスビリーというウィルスが侵入している。

 FGOの物語には「異星」ないしは「異星の神」という存在がいて、何らかの意思を持ち、地球に干渉を加えているわけです。
 本稿の話では、こいつの正体は宇宙の粛清機構の粛清プログラムだ、ということになります。

 が、このプログラムはマリスビリーウィルスに汚染されている。
 地球を正しい方向に修正するための「異星」のアクションは、その実、マリスビリーによってさりげなくゆがめられているのかもしれない。
 つまり、異星の神は(ここでは、キリシュタリアを生き返らせた謎の光のことを主に指します)、自分のことを異星の神だと思っているが、実はマリスビリーにまるごと乗っ取られていて、自分でそのことに気づいていないといった可能性が考えられるのです。

 粛清機構=異星は、プログラムに沿って自分の役目を粛々と果たしているつもりでいるが、じつはマリスビリーにあやつられていて、要所要所でマリスビリーの悪巧みの役に立つようなことを積み上げさせられている。ぶっちゃけ、ラスプーチンが「異星にご報告だ」かなんか言ってるときの異星とは、マリスビリーのことだろう。

 異星の神(謎の光)が、異聞帯のの育て役としてキリシュタリアを指名した、そのための試練として独力で人理焼却を解決しろというクエストを与えた、なんてのは、キリシュタリアやカルデアのことをよく知る人物=マリスビリーの横やりがないと思いつかないようなアイデアです。

 異星の神といえば。
 謎の光のほうじゃない異星の神もいました。ビーストのサーヴァント霊基を持ってるほうのやつ。

 いちばんよく育った異聞帯の空想樹から、異星の神が生まれ出てくるという設定がありました。そして、そこから生まれ出てきたのはオルガマリー所長にうりふたつのU-オルガマリー自称地球大統領でした。なんでしょうこれは。


■検体Eが異星の神になる

 オルガマリーはもとカルデアの所長。
 カルデア爆破事件で爆死し、魂だけ特異点Fにレイシフトし、その魂もカルデアスに放り込まれて消滅したことになっています。

 魂がカルデアスに落ちていった……。

 この話においては、地球ないしカルデアスに落ちてきたものがすべての始まりでした。地球に「樹の根」が落ちてきた。そしてカルデアスにオルガマリーの魂が落ちてきた。

 地球に落ちてきた樹の根が、手術室に運び込まれます。本稿では手術室は地球とカルデアスが重なる場所なので、カルデアスの手術室にも樹の根が運び込まれたことになります。樹の根が運び込まれたということは、樹の根が落ちてこないと困るので、因果が逆転してカルデアスにも樹の根が落ちてきたという「過去の書き換え」が発生します。

 というのが今までの説でしたが、こういうのはどうでしょう。

 地球に樹の根が落ちてきて、手術室に運び込まれる。
 まったく同時に、カルデアスにオルガマリーが落ちてきて、まったく同時に手術室に運び込まれる。

 地球の手術室とカルデアスの手術室は重なり合っていて、「一方で起こったことはもう一方でも起きないとおかしい」というルールになっている(とする)。

 ということは、同時に二つのドアから一つの部屋に運び込まれた樹の根とオルガマリーは、「同一のものでないとおかしい」

 そこで、「樹の根とオルガマリーは同一のものである」という整合がとられ、そういう事実が発生してしまう。
 樹の根とオルガマリーは融合してひとつのものとなる。
 樹の根は人体実験されるので、オルガマリーは100年間人体実験されることになる(気の毒すぎる)。

 印象的な場面なのでご存じとは思いますが、ナウイミクトランで書かれたことによれば、U-オルガマリーは拷問を受けたっぽい過去があるようです。確か「人間だと、仲間だと、叫んだのに誰も聞いてくれなかった」的なことをおっしゃっておいででした。

(U-オルガマリー)
……うそ。地球人類は、邪悪な生き物、なのに。
何年、何十年も、わたしを、解剖、したのに。

何度も、人間だって、仲間だって、叫んだのに。
誰も、聞いて、くれなかった。

『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 第19節


 オルガマリーは相手のことを人間だと認識できるが、相手はオルガマリーのことを人間だと認識できない、という状況が発生しているように見えます。オルガマリーは樹の根の姿だったので人間とは気づかれずいつまでも拷問された、で整合します。

 さてそこで「異星の神」。
 本稿の説では、「空想樹から誕生する異星の神」は、現行人類の文明をキャンセルしたあと、新たに選ばれた異聞帯が、以前よりマトモに育つように指導する監督係です。
 こいつがなぜかU-オルガマリーになっちまうわけです。

 オルガマリーと検体Eは同一存在になっている、というのが本稿の仮定です。
 なので、本来のプログラムでは、「異星の神として検体Eが降臨するはずだった」んじゃないでしょうか。

 つまり宇宙の粛清機構の端末が、いくつも地球に散らばって情報収集している。
 それら端末のうち、最も地球に詳しく、情報を蓄積している個体が、「監督係・異星の神」に昇格して、地球を教え導いていく……というシステムになっていた。

 異星の神になるにふさわしい個体として、検体Eが選ばれた。
 ところが検体Eはオルガマリーと合体していたので、降臨した異星の神は、オルガマリーのパーソナリティが前面に出たオモシロ大統領になっちまった。

 そしてこの一連の事象を、デイビット・ゼム・ヴォイドは「オレたちに逆転の道をもたらした奇跡の一手」と呼ぶのです。


■マリスビリーが降臨するはずだった

「地球に潜入していた樹の根のうちのいずれかが昇格して監督係・異星の神になる」という仮定をOKとする場合。

 本稿の説では、地球に飛来していた樹の根は二体あるわけです。
 ひとつは検体E。オルガマリーと融合した
 もうひとつは、存在が確認されていない仮説上の個体X。マリスビリーと融合した

 つまり、後者が異星の神に選抜されていた場合、オルガマリーではなくU-マリスビリーが異星の神として降臨していた可能性があることになります。うわ。

 マリスビリーは樹の根ネットワークにウィルスとして侵入しているので、メインシステムに干渉して、自分(の樹の根X)が異星の神として選抜されるよう工作していた(だろう)。

 ところが、もう一体、非常に強力な異星の神候補が台頭してきた。この樹の根、検体Eは、オルガマリーからもたらされた「寂しい」「誰かと寄り添いたい」「何かをやり直したい」というモチベーションを持っている。
 そのモチベーションが、他の候補をはねのける。マリスビリーを押しのける。

 そうして検体Eが選ばれ、検体Eはオルガマリーでもあるので、地球大統領U-オルガマリーが誕生したのである。

 ……なんてのは、なかなか泣かせるでしょう。

 オルガマリーは素直になれないだけで根本的に善性だ。しかも、人類の未来を守る組織の長官だった人だ。
 だからU-オルガマリーは固有スキルに「人理の防人」を持っている。

(デイビット)
あの時点でゲーティアの手管は、
魔神柱の企みは完璧だったが……

その中でも、さらに奇跡の一手と言えるものが
レフ・ライノールが君に向けた感情だ。

あれがなければオレたちに逆転の道はなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
魔術王ソロモン。いや、魔神王ゲーティア。

彼はあの時、人理を焼却しながら、
同時に人理の防人(さきもり)を生みだした。

『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 第19節(傍点原文ママ)


 もし、レフ教授がオルガマリーの魂をカルデアスに放り込まなかったら、検体Eは異星の神に昇格することはなかった。
 検体Eが異星の神になれなかった場合、マリスビリーが異星の神になってしまっていた。

 マリスビリーが異星の神になったら、たぶんマリスビリーの悪巧みは、これ以降すべて成立してゲームセットになっていただろう(たぶん、そんなフィーリング)。

 ところがオルガマリーが異星の神になったので、マリスビリーの手が崩れた。彼の計画は破綻はしないまでも遅延した。
 ここで稼げた時間を使って、デイビットは地球とカルデアスを破壊し、マリスビリーの計画を打ち砕くことが可能だ……。

 という意味に見えました。


■異星の巫女の正体

 異星の巫女の正体は何か、について書こうと思ったのですが、考えたけどわかりません。「異星の巫女の正体はオルガマリー」というのが、描写といちばん整合しやすそうなのですが、その真相はちょっと小さいです。

 異星の巫女の中身は検体Eの本来の人格、くらいにすると広がりがありそうかな、どうかなって感じです。私がこの物語を書くとしたら、まったくの非人間、宇宙人個人から見た傍観視点がほしいです。地球の状況の傍観は、検体Eが本来やってきていたと推定される行為です。そのくらいでどうかな?

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FGO:マリスビリーの目的と事象収納(置換魔術その3)

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FGO:マリスビリーの目的と事象収納(置換魔術その3)
 筆者-Townmemory 初稿-2024年12月26日


『Fate/Grand Order』(FGO)の黒幕とクライマックス予測に関する記事です。

■関連記事
●魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか
●FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)
●FGO:続・置換魔術(確率化する私たち) 


■マリスビリーあいつなんかやってます

 FGOにはマリスビリーという人物がいます。この人は主人公側の組織のボスだったのですが(故人)、どうやら何らかの悪だくみをしていたようで、そのために世界が大変なことになっているというのが、現在(現実時間2024年12月)のFGOの状況です。

 世界全体が白紙のページのようにまっさらになってしまった! という「白紙化地球」の現象も、どうやらマリスビリーの悪だくみの一環だったようです。
 彼はカルデアスという、地球の精巧なミニチュアを作っていました。これも悪だくみに大いに関係しているようです。

 なんでまた彼は地球を白紙化したかったのか(それによって何を得ようとしていたのか)というのは、断片的なヒントがいくらかちりばめられてはいますが、はっきりとしません。

 どうも彼の計画では、「カルデアの生き残りが地球の白紙化をなんとかしようとする」という行動も織り込み済みっぽいのですが、どうして彼は「自分の計画を邪魔しようとするヤツ」を必要とするのか、これもはっきりしません。

 が、これに関して、ちょっと思いついたことがあるので以下に書き留めておきます。まずは長い長い前置きを書きます。

 お品書きとしては、

・マリスビリーがやろうとしていたことは何か(前提条件の設定)
・それで彼は何を得られるのか(本論1)
・それに対してノウム・カルデアはどうするのか(本論2)


 の三本です。


■デイビット・ゼム・ヴォイドは何を語ったのか

 デイビット・ゼム・ヴォイドという敵方の人物がいます。この人はマリスビリーのやろうとしたことを全部知っていて、これを阻止しようとした人物です。

 彼がいうには、マリスビリーの悪だくみは、現在進行形で成立しようとしている。
 これを阻止するには、地球をまるごとぶっこわすしかない。
 だからオレが地球をぶっこわす。

 という、えらい極端な行動方針を持っていました(主人公たちに阻止されました)。

 はっきりいってちょっとわけがわからないのですが、デイビットが言ったことややったことについてきれいに説明がついて、「だから地球をぶっこわすんだ」という結論に納得がいくようなストーリーが思いつけば、それはつまりマリスビリーの悪事を見抜けたことになりそうだ。

 なので、まずはデイビットの来歴や言動をまとめてみます。


1:デイビットは地球外の何らかの意思を代弁している(推定)

 デイビットは10歳のときに、地球外から来た非人類のアイテム「天使の遺物」の光を浴びて、それ以降、人間離れした思考をするようになったとされます。

 また彼は、140億光年の外宇宙から戦力を呼び出す能力を持っています。

 彼はおそらく地球外の何らかの意思の端末と化しており、地球の情報を送信したり、宇宙側の利害を代弁するような存在ではないかと推定できます。


2:「マリスビリーの悪事は地球の恥となる」

 宇宙的規模の思考の枠組みをもっているデイビットは、「地球人類が汚名を着ることを避けたい」と言っています。これがデイビットの目的で、「地球を破壊する」はその手段です。

(デイビット)
七つの異聞帯が切除された時、
ヤツの人理保障は完成する。

そうなれば地球人類は138億光年に亘る汚名を被るだろう。
“この宇宙に生まれた、最低の知的生命体”と。

『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 19節

(デイビット)
カルデアス……いや、マリスビリーは
『人類の敵』ではない。

ヤツは『宇宙の敵・・・・』だ。
それに関知できたのがオレだけなら――

この惑星を破壊する事で、
人類が負うであろう汚名を無くそう。

君は世界を救う。
オレは宇宙を救う。

『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 23節

     *

 まとめると、宇宙的意思(みたいなもの)と接続しているデイビットは、「宇宙人から見て、地球人はどう見えるか」という視点を持っている。

 マリスビリーの計画が成就した場合、宇宙人たちは、「地球人類、サイテー」という感想を持つだろう。

 地球人類の名誉を守るためには、マリスビリーの計画を成就させてはならない。

 マリスビリーの計画を失敗させるためには、地球を破壊するしかない。

 さて、以上の「デイビットのストーリー」にうまくあてはまるような、マリスビリーの計画とは何だろう。


■また置換魔術の話

 デイビットが退場した直後、「オーディール・コール 序」というストーリーが発表されました。
 ここで、「置換魔術」というものについての説明が出てきました。「よく似た二つのものは、距離をまったく無視して入れ替えが可能である」という魔術理論でした。
 以前の記事でも引用しましたが、もっかい引用します。

(ダ・ヴィンチ)
だろうね。
魔術世界には置換魔術というものがある。

たとえば、ここにゴルドルフくんAと
ゴルドルフくんBがいたとして、

彼らがまったく同じ構成・情報量である場合、
どんなに離れた場所でも入れ替える事ができる。

なぜか? それはもちろん、第三者から見て
『なんの違いもない』事だからだ。

置換された者にしか『入れ替わった』事は分からない。
いや、場合によっては本人たちでさえ分からない。

超常的な事が起きたというのに世界に異常はないんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういう条件の時、魔術はとてもよく働く。

『Fate/Grand Order』オーディール・コール 序


 この理論に基づいて、
「地球の白紙化とは、カルデアスの表面と地球の表面が入れ替えられたために起きたのではないか」
 ということが語られていました。

 カルデアスは地球のものっすごい精巧なミニチュアコピーです。カルデアスは、構成および情報量が地球と同一といえますので、置換が可能そうです。

 おそらくこういうことだと思います。
 まずはカルデアスの表面からすべての事物をとりのぞいてまっさらにする。
 続いて、地球表面とカルデアス表面を置換する。
 すると、地球の表面はまっさらの白紙状態になり、もともと地球にあったものはカルデアスに移る。

 ダ・ヴィンチちゃんがこの推論をOKとしているということは、構成と情報量が同一であれば、質量が異なっていても置換は可能っぽいですね。

 で、マリスビリーのやろうとしていたこととは、地球とカルデアスの置換よりもさらに大規模の置換魔術なんじゃないか、というのが、私の話の前提(仮定)条件です。


■空想樹は銀河である■

 空想樹の幹のひび割れの中には銀河が見えます。

『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』で、初めて空想樹を目にしたテペウ氏は、意味深で興味深い考察をしています。

(カドック)
ああいや、空想樹に本物も偽物もないんだが……

(テペウ)
本物も偽物もない……
大小はともかく、形さえ合っていればいい……

木の中にある銀河など本物である筈がないというのに、
我々はあれを銀河と認識している……

……『大樹の中に銀河がある』まではいい。
しかし、それが異聞帯の定礎になるものでしょうか。

事実、空想樹であるORTが休止していたにも拘らず、
ミクトランは存続していた。

『銀河のエネルギーを利用している』のではない?
それはあくまで二次的なもので――

本筋として『銀河がなくてはいけない』のか?
あの木々は、銀河である事に意味があると……?


『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 21節



 私なりに翻訳するとこうなります。

1)異聞帯には必ず空想樹が存在している。
2)空想樹の中には銀河があり、私たちは空想樹と銀河を同一視している。
3)一見すると、「空想樹は異聞帯を維持するためのエネルギー源であり、そのエネルギーは銀河からくみ出されている」ように見える。
4)でも、実はそうではない。
5)なぜなら、ミクトランの空想樹は長年にわたって機能停止していたのに、ミクトラン異聞帯は平気で存在し続けていたからだ。
6)空想樹が、異聞帯を維持するためのエネルギー源で「ない」としたら、空想樹は何のためにあるのか。
7)空想樹を建造した黒幕マリスビリーは、彼の悪だくみにおいて、「ここに銀河がなければならない」という条件を必要としたのだろう。
8)「ここに銀河がなければ成り立たない」という悪だくみとは何だろう?


 ここまでがテペウの考察で、ここからが私の付け足し。

 地球を白紙化したのはマリスビリーで、空想樹をブッ立てたのもマリスビリーだ(たぶん)。

 マリスビリーは、「まっさらな地表に、銀河と同一視できるものが7本立っている」という状態を必要とした。

 なにもない空間に、ときおり銀河に似たものが少数散らばっている、というモデルにおいて連想されるものはなんだろう。

 それは「宇宙」ではないか。

 宇宙とは、138億光年の範囲(FGOの定義)におよぶ、ほとんど何もない虚空に、ほんの時々、天体の集団(銀河)が浮かんでいるというモデルで説明できるものです。

 ほとんど何もない空間に、ときおり銀河がある。

 それは、
「ほとんど何もない平面(白紙化した地球)に、ときおり銀河と同一視できるもの(空想樹)がある」
 という白紙化地球と、モデルとして酷似するものといえるのではないか。

 そしてもし、白紙化地球と宇宙が極めて類似したものといえるのなら。
 白紙化地球と138億光年の既知宇宙すべては、置換魔術で置換可能なのではあるまいか。


■宇宙的に最低

 小さなカルデアスに、オリジナル地球の表面がまるまる転写可能だったのですから(推定)、小さな地球に、広大な宇宙そのものを転写することも理論上可能だと推定することができます。

 かつて宇宙と呼ばれていた場所は、すべてを地球に奪い取られ、そのかわりに白紙化地球というものを押しつけられることになります。

 この想像の場合、マリスビリーは全宇宙史上最悪の強盗犯であり、この事件は「全宇宙強奪事件」だということができます。

 デイビットはマリスビリーのことを(人類の敵ではなく)「宇宙の敵」であり、この計画が成就してしまえば、地球人類が“この宇宙に生まれた最低の知的生命体”という汚名をひっかぶるだろうと言っています。

 私欲でもって全宇宙を盗み取ろうという行為は、ほとんど議論の余地もなく宇宙的に最低ということができそうです。

 そして、地球をぶっこわせば地球と宇宙の置換は成り立たなくなりますので、マリスビリーの悪だくみは不成立に終わります。「地球人類は宇宙を盗まなかった」ことになるので、地球人の名誉はギリ守られます。「デイビットは地球人類の名誉を守るために地球をぶっこわす」が成立しそうです。

 マリスビリーは魔術協会天体科(天体魔術の専門セクション)のトップでした。マリスビリーの天体魔術は、地動説ではなく天動説に基づいているという情報がありました。

 地球は宇宙の中心などではなく、たんなる周辺にすぎない。太陽系の中心は太陽であるし、その太陽すらも、宇宙の中心などではないというのが我々の地動説の考えです。

 しかしマリスビリーは、地球こそが宇宙の中心であり、それ以外のすべての宇宙は、地球のまわりをめぐる周縁にすぎないという考え方でやってきている。

 言い換えれば彼は、地球が主であり、それ以外の全宇宙は従であるという世界観を持っていそうです。

 もっと言い換えるなら、地球が王であり、宇宙は国土と臣民である。
 王が国土と臣民から搾取するのは当然の権利である。
 彼はそのようなメンタリティを持っている可能性があります。そういうメンタリティを持っていれば、「最初から宇宙は地球人類のものだ、回収して何が悪い」くらいの態度でいるかもしれません。

 さて、ここまでが前置きです。
 以上のことを「前提条件」として仮置きできるとしたら、どんなことが言えそうか。この物語はどんなふうになっていきそうか、というのをこれから書きます。ここからが本論。


■マリスビリーは宇宙を強奪して何がしたいか

 しかしなんでまた、こんな大がかりな仕掛けを駆使して、命を捨ててまで、マリスビリーは宇宙を盗みたいのでしょうか。
 それについてはこんなふうに想像することもできます。

 マリスビリーは魔術師です。
 魔術師は原則的に、例外なく「根源」到達を目標としています。

 根源がどこにあるのかは誰も知りません。
 でも、もし宇宙のどこかに根源があるのなら、宇宙のすべてを自分の手元に置いてしまえば、それは根源に到達したのと同じことになる。

 だけどもし、138億光年範囲の既知宇宙に根源がなかったのならどうするか。
 138億光年先の宇宙外縁のそのまた先にある別の宇宙に対して同じことをすればいい。デイビットは140億光年先の暗黒星から戦力を召喚することができました。宇宙の外に別の宇宙があることは示唆されている。

 そうして、すべての宇宙に対して置換を行い、それでも根源がなかったのなら、すべての宇宙を包含するメタ宇宙に対して同じことをすれば……。

 ようするに、人間が想像可能なすべての宇宙を強奪すれば、それは根源を手に入れたのと同じことになる。

 マリスビリーは根源を手に入れれば人理は永久に安泰だと考えていそうです。根源があれば、少なくともエネルギー問題とマナ枯渇問題は一挙に解決するし、エネルギー源が無限であれば、人類の問題は大半が解決します。

 ところで、根源を手に入れる手段に関して、もうひとつ別解がありますのでそれも披露しておきます。次のが本命


■世界卵と事象収納

 当ブログでいちばん閲覧された記事のひとつに、「魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか」というのがあります。

 まずはその記事を読んでいただきたいです。

 この記事の中に、固有結界を大規模展開すれば根源に到達できる、という試論があります。ちょっと長いですがまるごと引用します。(意味がわからなかったら元記事を通読して下さい)

 人間のガワを卵の殻に見立てて、外的世界と心象世界を入れ替えることが可能だということは……。

 一方では「自分の外部に心象世界を展開する」ということになるが、
 他方では、
「私の内部に世界の全てがある、私が世界である」

「宇宙の中に地球があり、地球の中に私がいる」という包含関係のモデルがあるとしよう。

 でも、内と外とは相対的な概念であり、入れ替えが可能であるとするのなら。

 私と地球の包含関係を入れ替えることができる。
 地球の中に私がいるのではなく、私の中に地球があるのである。

 地球と宇宙の包含関係も入れ替える。
 宇宙の中に地球があるのではなく、地球の中に宇宙があるのだ。

「私の中に地球があり、私の中の地球の中に宇宙があるのだ」。

 すなわち私こそが宇宙だ。

「内と外とは相対的な関係にすぎない」というマジカルワードは、「今ここ」と「宇宙の最深部」を、概念の操作ひとつでまったく同一のアドレスに置くことを可能とする。

 宇宙の果てに存在する私という人間と、宇宙の最深部に存在する宇宙の中心は、内と外の関係を入れ替えることによって、重なることになる。入れ替えたら、私のいる今ここが、宇宙の中心となる。

 ここは向こうである。彼岸は此岸である。宇宙の果ては宇宙の中心である。

 そして、もし宇宙の中心に「根源」があるのなら。

 私の中心に根源がある。ここが根源である。

 現状、「固有結界」の魔術は、自分の周囲のかなり限定された領域にしか展開できません。
 でも、もし仮に、「人間の内と外を入れ替える」を文字通り宇宙規模で行うことができたら。

 それは根源をまるごと手に入れたことになる。

「魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか」


 ここで書いてあることは、「マリスビリーは宇宙を盗みにかかっている」というアイデアとほとんど同一です。世界卵でも同じことができそう……という話も面白そうなのですが、今回はそれは置いときます。

 ここで注目したいのは、自分の周りにある世界や宇宙が、どんどん、どんどん、自分のところに向けてたぐり寄せられていくという構造です。

 マリスビリーが狙っているのは、この動き、この構造なんじゃないか、という考えも魅力的で、こっちが本命かもしれません。

 どういうことかといいますと……。

 まず、空想樹銀河が散らばった白紙の地球と、銀河が散らばった虚空の宇宙を入れ替えます。
 地球は宇宙と同一視できるものとなります。

 次に、なにもない広大な虚空に、いくつもの宇宙が浮かんでいるという、メタ宇宙というものがあるとします。

 何もない虚空に銀河が散らばっている宇宙と、何もない虚空に宇宙が散らばっているメタ宇宙は置換がききそうなので(たぶん)、これを入れ替えます。

 地球と宇宙は同一視できるものとなったので、地球とメタ宇宙は同一視できるものとなり、地球はメタ宇宙となります。

 何もない虚空にメタ宇宙が散らばっているメタメタ宇宙というものがあるのなら、それと地球(メタメタ宇宙と同一視可能)は置換が可能なので、地球はメタメタ宇宙になります。

 メタメタメタ宇宙が存在するのなら、地球はこれも回収してメタメタメタ宇宙となります。

 さて、地球はメタメタメタ宇宙となりました。カルデアスと地球は同一視できるものなので置換が可能です。カルデアスはメタメタメタ宇宙となります。
(この場合、地球の地表はカルデアスから再転写され、元に戻ります)

 つまりはカルデアスの所有者が、宇宙と、宇宙を含む大きな宇宙と、大きな宇宙をさらに含む極大宇宙を所有することになるのですが、所有権については実はどうでもよくて。

 地球と、地球を含む宇宙と、宇宙を含む大宇宙と、大宇宙を含む極大宇宙が、ひとつの小さな点に向けて、しゅううっと収納されていくかたちになります。このかたちに注目したいのです。

 根源とは何でしたっけ。万物万象が流れ出す大もとだ、ということでした。宇宙のすべて、宇宙を含んださらなる宇宙を含んだ、すべてのものは、根源というひとつの点から発散したものであり、いまも発散しつづけている。
(わたしはビッグバンのイメージでみているのですがみなさんはどうでしょう?)

 その根源から出てきたものをすべて、ひとつもあますところなく巻き取り、たぐり寄せ、カルデアスという一つの点の中に収納する。するとどうなるか。

 カルデアスはもはや根源そのものだ。

 根源から発したものすべてがここに収まっているのだから、これは根源である。

 マリスビリーの目的は、どこかにある根源に到達することではない。
 そうではなくて、目的は自らここに根源を作りだすことである……。

 こっちのアイデアのほうが、構えが大きく誇大的なので、こっちのほうがいいかなって思っています。

 この世に存在するすべての空間・非空間のあらゆる事象が、カルデアスの中にするするしまわれていっちゃうっていうこのイメージに、もし名前を付けるとしたら、

「事象収納」

 という言葉が、ぴったりあてはまるのではないでしょうか。

 月姫リメイクで、アルクェイド女史が光体になったとき、建築やら人間やらを含めた地表上のすべてのものが、一点に向けてするするとしまわれていっちゃうという現象が発生していました。これは「事象収納」と呼ばれていました。あれはなんというか、地球から発生したすべてのものが、地球に返済されていくみたいなイメージにみえました。

 これと同様に、根源から発したすべてのものが、根源に返済されていくという大掛かりな「事象収納」も、考えることができるのではないか、ということだと思って下さい。

 そういう「根源の事象収納」を、人為的にしかも自分の手の内で行うことができるなら、それはもはや自分が根源になったのと同じだ、というのが本稿のアイデアです。


■そうだとしたらノウム・カルデアのドラマは

 もう一回引用しますが、

(デイビット)
七つの異聞帯が切除された時、
ヤツの人理保障は完成する。

『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 19節


 異聞帯が切除されると、悪だくみが成功する。

 マリスビリーは、カルデアの生き残りが白紙化を解消しようとして、異聞帯のすべてを攻略するだろうということを、計画のうちに含めていたとみることができます。
 というか、カルデアの生き残りノウム・カルデアが、七つの異聞帯を切除してくれないと、悪だくみが成功しないのでマリスビリー困っちゃう、くらいのことを言っているように見えます。

 第二部の事件をマリスビリーの儀式魔術だと考えるなら、カルデアとぐだが必死で戦って異聞帯を消しまくることも、儀式の一部だぜってことになります。

 マリスビリーはなんで異聞帯攻略を必要とするのだろう? この話の流れでは、マリスビリーは、「ノウム・カルデアによって切除されるために」異聞帯を復活させたことになります。なぜそんなことを?

 それについての私のアイデアはこうです。

「地球と宇宙を置換してもよい」という全人類の同意を必要としたから。
(みたいな方向性のこと)

 異聞帯とは、これ以上この世界が続いても発展がない、と見なされて打ち切りエンドとなった並行世界です。
 マリスビリー(推定)は、異聞帯を七つ選んで、敗者復活権を与え、これらを地球上に配置しました。

 これらの異聞帯が育てば、地球を乗っ取って正史となります(でしたよね?)。
 ノウム・カルデアは、自分が属していた世界(歴史)を取り戻したいので、異聞帯の成長を阻止しなければなりません。

 しかし異聞帯には異聞帯の文明と、そこに住む人々がいるのであって、ノウム・カルデアが異聞帯を切除するということは、これは彼らを世界ごと消滅させるという意味です。

 異聞帯探検のあいだに、友となった人々はたくさんいるのに、カルデアは最終的に、「彼らを消去し、自分たちのみ存続する」という選択をしなければなりません。そういう体験をおおむね7回くりかえしました。

 ノウム・カルデアは、
「おまえの世界とオレの世界、どっちが生き延びるのかと問うなら、それはオレの世界だ」
 という選択を、つごう七回してきたことになる。

 ノウム・カルデアは現在生き残った全人類です。
 そういう選択を全人類に何回でもさせること、が、マリスビリーのもくろみなんじゃないかという気がするのです。


■投げかけられる問い

 オレの世界と、おまえの世界がある。オレは生き延び、おまえは消えろ。

 という選択を、全人類の意思として、七回繰り返してきた。
 その選択は、全人類の意志として、何かに(アラヤとか何らかのそういうものに)刻み込まれたと考えることにします。

 そしてここに、
「私の地球と、君たちの宇宙がある。私の地球が生き延び、君たちの宇宙は消えよ」
 という選択を実行するマリスビリーがいる、と考える。

 この場合、アラヤの抑止力(など)は、マリスビリーを攻撃しない可能性がある。

 マリスビリーのもくろみとしては、そんなところで(適当で)いいかなって感じなのですが、それよりも重大なことがある。

「自分の世界が優先で、他人の世界は消えてやむなし、という選択を繰り返してきたノウム・カルデアの君たちは、私の計画を否定できる立場なのかね?」

 という問いに、主人公たちは答えなければならない。

 他者を踏みつけにして、自分が生存することが許されるのなら、宇宙を踏みつけにして、地球だけが生存する選択も許されるはずである。
 それはまさに君たちがしてきた選択じゃないか。

 このドラマを主人公とユーザーにつきつけることが、FGO第二部のメインギミックだったらすごいんだけどな、と思うのです。

 もし、FGO第二部のクライマックスで、こういう問いを投げかけられたら、どう答えます?


■汎人類史というあつかましい言葉

 第二部から登場した「汎人類史」という言葉に、わたしはずっと違和感をおぼえつづけてきました。あつかましいからです。

 自分たちの歴史(汎人類史)が人類史のであり、異聞帯の歴史は枝葉である。枝葉は茂り過ぎると幹が弱るので、適度に剪定する。すると汎人類史の幹にエネルギーがまわってきて、我々は安泰である。

 という、「我々は幹であり、あなた方は枝である」という認知それ自体が、すげー居心地悪いです。
 物語上では、「あなたたちの異聞帯もすばらしく価値があるものなのに、私は私の世界を選ばなくてはならなくて」というエモーションになってはいます。なってはいますが、「私の世界」が「汎人類史」と呼ばれているせいで、どうしても「汎人類史が存続し、異聞帯は切除されよ」という価値観が重なってきちゃう。

 ですが私はなにも、「奈須きのこさんの言語感覚ってあつかましいよね」的なことを言うつもりはなくて、これは意図されたあつかましさなんじゃないかと思っているのです。

「あなたたちが受け入れて使ってきた汎人類史って言葉、その自己認知、それってすごくあつかましくないか?」

 ということを最終的につきつけてくるために使われてきた語であるような気がしています。


■われらガリレオ・ガリレイ

 というのも、
「汎人類史が存続し、異聞帯は切除されよという価値観」
 は、ものすごくマリスビリー的というか、天動説的だと、私には見えるのです。

 天動説のマリスビリーは、地球が中心であり、それ以外は周辺であると思っているでしょう(推定)。
 それって、
「汎人類史が中心であり、異聞帯は周辺である」
 という、第二部で語られてきた世界観と酷似しています。

 汎人類史という概念は、それ自体が自己中心的であり、天動説的だ。

 この物語は、そこに対して異を唱えるべきではないのか、というのが私の思想です。

 地球が中心であり、それ以外は周辺だから、宇宙が丸ごと消え去っても地球さえ存続すればよいという価値観は、汎人類史が中心であり、それ以外は周辺だから、汎人類史が残ればいいという価値観と同質である。

 だとしたら、
 わたしたちが「地球が富むなら宇宙はどうなってもよい」という価値観をもし否定したいのなら、「私たちの歴史が汎人類史である」という私たち自身の認知を咎めなければならない。

 そこで。

 私たちが汎人類史である、という自己中心的で天動説的な認知がガンなら、それを撃退する言葉はこうである。

「人類は地動説を採用します」

 根源から発した宇宙のすべてを地球上のカルデアスに収納するという本稿のマリスビリーのアイデアは、地球が全宇宙の中心になるということであり、いってみれば、「地動説を否定し、天動説が正しい世界を再生成する」というのに等しい。
 マリスビリーのやろうとしていること(推定)は、言い換えれば、「全人類で天動説を採用しましょう」というご提案だ。

 それを咎めたいのなら、我々の選択は「天動説を否定し、地動説を取る」ことである。
(ここで切り札、英霊ガリレオ・ガリレイか英霊コペルニクスを召喚みたいな展開があったら高揚するよねぇ)

 地動説を採用するというのは、どういうことなのか。
「われわれは中心であり、幹であり、優先的に扱われるべきものだ」という認知を捨てることである。
 われわれは汎人類史である、という認知を拒否することである。

 われわれは宇宙の中心などではない。
 われわれは宇宙の周縁にある小さな岩にすぎない。

 われわれの歴史は、人類史の幹などではない。
 異聞帯とのあいだに、主従関係などない。
 パツシィのロシア異聞帯が勝利してもかまわなかった。
 北欧異聞帯が勝利してもかまわなかった。
 ブリテンとミクトランが勝利したらちょっとまずいけど、それ以外が勝っていたら、マリスビリーの計画はそこで止まってたかもしれなかった。
 すべての歴史は、上下関係なく等価である。

 人類が地動説を採用するということは、つまりはこういう認知を得ることだ。
 私たちの歴史は、ひとつの異聞帯である。


■私たちは何をするのか

 歴史とは時間の厚みのことです(たぶん)。宇宙にも時間が流れているのだから、宇宙史というものもある。
 宇宙の歴史をもし汎宇宙史と呼べるのなら、地球の歴史は異聞帯くらいのものだ。

 さて、その異聞帯(地球)が、全宇宙に対し、
「おまえらを乗っ取り、オレが全宇宙になる」
 といいだした状況があるとする(本稿の仮定)。

 汎人類史に対して異聞帯が反旗をひるがえし、「わが歴史を正史にする」と言い出したのと、構造的に同一だ。

 なので、「宇宙と地球の対立」においても、汎人類史と異聞帯で起こったのと同じ争いがおこると考える。

 異聞帯が汎人類史を乗っ取って正史になろうといいだしたとき、我々はそれを阻止して異聞帯を切除しなければならなかった。
 それと同様に、
 地球が宇宙を乗っ取ろうとするのなら、宇宙はそれを阻止して地球を切除しなければならないはずだ。

 この話の流れでは、宇宙側から、当然そういうアクションが発生しそうだ。

 ここにきて、宇宙と地球は、汎人類史と異聞帯のような対立関係になる。われわれは今度は切除される側だ。もしそんな状況が発生したとしたら、「わたしたちはどうする?」

 より大きく、正当な立場として、異聞帯を退けてきたわたしたち。
 では、わたしたち自身よりも大きく正当な立場が、わたしたちを退けようとするのなら、おとなしく退くのが話の筋、となるだろうか。
 そうはならない。

 なぜなら、これまで出会ってきた、七つの異聞帯の人々が、自分の世界の値打ちを信じていたからだ。
 自分の世界は消え去るさだめであると聞かされて、それに抵抗した、戦った人たちがいた。
 世界の存続のために、あるいは自分自身のために、戦った人たちがいた。

 その姿を私たちは見てきた。
 それがわたしたちの行動の祖型となる。異聞帯の人々がそうしてきたように、異聞帯である我々は戦うのである。

 そのようにして、「異聞帯攻略のたびに我々の心に刻み込まれた傷」の価値がポジティブに反転する。その痛みが「自分の世界と歴史を守る戦い」の原動力となる。「異聞帯のすべてを見てきたから、異聞帯である自分がどうすべきか知っている」

 本稿の仮定に基づけば、そのような種類のドラマが発生しそうだ。

 マリスビリーに対しては、「無限に並列する並行世界のひとつにすぎない」自分の世界を取り戻す戦い。
 宇宙に対しては、「宇宙の辺境の極小にすぎない」自分の世界を守る戦い。

 そこでもし仮にマリスビリーが、

「宇宙をまるごと奪う宇宙的事象収納に賛同・協力してくれるなら、地球の表面を返してあげよう」

 という取引をもちかけてきたらどうなる?

 私たちはきっと、これに同意できない。
 なぜならこれ以上、別の世界を踏みつけにして、自分が生き残るという体験がまっぴらだからだ。

 マリスビリーは、自分の計画に必要だからという理由で、意図的に、「異聞帯を七つ切除させる」行為をノウム・カルデアに強いたのだが(推定)、ノウム・カルデアにとっては、「七つの異聞帯を切除した」という体験こそが、マリスビリーを許さない動機となっていく。


 ……というような具合に、私ならFGOの続きをこう書くけど、奈須きのこさんはどう書くでしょうね、楽しみですねというお話。おあとがよろしいようで。



●追記

 些細なことですがひとつ書き忘れてました。デイビットは、一日のうち、自分が選んだ5分だけしか記憶を翌日に持ち越せないという特殊な体質でした。

 これはまあ、記憶の大部分を宇宙のかなたに送信しているとか、そんな具合のことかなと思いますが、それはさておき、彼のメモリーは「24時間のうち記憶のほとんどが虚無であり、その中に、ところどころ断片的な記憶が散らばっている」という状態にあるといえます。

 大部分の虚無のなかに、ところどころ、意味あるものが散らばっている。

 というのは、「虚空にところどころ銀河がある」という宇宙のモデルと近似しています。

 もし宇宙そのものに意思があるのなら、宇宙のモデルに近似した脳をもっているデイビットには乗り移りやすいだろうなと思いました。以上です。


■ちょっと関係ある続きのようなものを書きました。
FGO:ブルーブックと地球白紙化に関するわりと壮大な話(置換魔術4)

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物語の力(1)サーヴァントユニヴァースって何やねん

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[FGO]物語の力(1)サーヴァントユニヴァースって何やねん
 筆者-Townmemory 初稿-2024年10月2日



 本稿ではFGOにおける「サーヴァントユニヴァース」について取り上げます。


■便利な箱としてのユニヴァース

 FGOには「サーヴァントユニヴァース出身」とされるサーヴァントが何人か存在していて、総じてトンチキな設定とトンチキな性格を与えられています。

「サーヴァントユニヴァースとは何なのか」について、FGOはほとんど何も説明していません。
 が、断片的な情報をよせあつめてみると、どうやら、『スター・ウォーズ』やらマーベル・コミックやらハリウッドSF映画のパロディのような世界があって、そこに、既存のサーヴァントたちをトンチキチューニングして配置してみました、というようなもののようです。

 何と言うか、まあつまり、FGO本来の世界観になじまないくらいトンチキなキャラを配置したいときとか、TYPE-MOONの他作品からキャラを持ってきたいけど設定の都合で持ってこられないときに、
「これはサーヴァントユニヴァース出身のよく似た別人です」
 というエクスキューズを使って強引に押し通してしまう。そういう便利なギミックとして利用されているようです。

 サーヴァントユニヴァースとは何か。それは目先の変わったキャラをFGOに配置するための便利な箱である。この説明で何の問題もないですし、ひょっとしたら、それ以上のことを追及しようというのはヤボなことかもしれません。

 が、しいてそこをつきつめてみようというのが本稿の目的です。以下、「サーヴァントユニヴァースって何やねん」に関するひとつの試案。


■ヘクトールとドゥリンダナ

 と、その話をする前に、セッティングとして、ヘクトールとドゥリンダナの話から始めたい。

 ヘクトールはギリシャ神話に出てくるトロイアの名将。トロイア戦争でアキレウスと死闘をくりひろげた。FGOのヘクトールは槍使いで、槍の宝具ドゥリンダナを持っている。

 しかし。
 ヘクトールという人物が史実上に仮に存在したとして。そのヘクトールがドゥリンダナという名槍を持っていた「わけがない」

 古代ギリシャ研究家の藤村シシン先生がYoutubeで語っておられて、「へえええー!」と思ったのですが、ギリシャ神話および古代ギリシャの伝承に、名剣・名槍のたぐいは存在しないそうです。
 古代ギリシャは、剣や槍に、強い意味を持たせるということをしない文化だったそうです。とくに槍なんてのは、たくさん用意しといてぶんぶん投げまくるような使い方をしていた。

 シシン先生のおっしゃるには、古代ギリシャにおいて重視されたのは剣や槍ではなく、だった。古代ギリシャの軍隊はファランクス(密集陣形)を組むので、左手で持つ盾は、自分だけでなく左側に立つ味方の兵士を守るためのものでもあった。だから盾を失うというのは味方を危険にさらすということであり、重大なミステイクだとされた。槍を失うことはあっても盾を失うなという価値観だった。「戦場で倒れたら盾に載せられた死体として帰ってくる」という言い回しもあった。

 だから、伝説的な盾というのは、ひょっとしてありえたかもしれないが、伝説の剣や伝説の槍というものは、古代ギリシャにおいては考えづらいということでした。

 加えてシシン先生はこういう意味のことをおっしゃっていた。「FGOのヘクトルがドゥリンダナという槍を持っているというのは、後世のフランスで創作されたシャルルマーニュ伝説とか、そういうところから持ってきた設定ではないか」。

 そうとしか考えられないので、そうだと思います。後世のフランス、騎士物語がつくられ、語られた時代には、ロマンを喚起するアイテムとして名剣が必要とされた。
『ローランの歌』のローランは名剣ドゥリンダナ(デュランダル)を持っている、という設定が生まれた。
 その名剣にハクをつけるために、「この剣はかつて、トロイアのヘクトールが持っていたものだ」という説明が開発された。

 その「後世の設定」がヘクトールにフィードバックされて、「FGOのヘクトールは宝具の槍ドゥリンダナを持っている」という表現になった。

 FGOには、「サーヴァントは生前の英雄本人がそのまま召喚されるわけではなく、後世になって創作された伝説などが継ぎ足された状態で出てくる」という興味深い設定があります。

 生前のヘクトールは、ドゥリンダナなんてものは絶対に持っていなかったけれど、FGOで召喚されるヘクトールは後世の伝説が継ぎ足されているので、のちにローランが持つことになるドゥリンダナを持った状態で出てくる。

 これを恣意的に言い換えるとこうなる。

「FGOにおいて召喚されるヘクトールは、ヘクトール本人ではなく、『ローランの歌』以降に人々がイメージした《物語上のヘクトール》である」

 FGOにおいては、史実上絶対に実在したはずがないシャーロック・ホームズやモリアーティ教授(物語の中にしかいない人物たち)を召喚可能ですから、これは、がぜん飲み込みやすい話ではないでしょうか。
 つまり、シャーロックやモリアーティが特殊なサーヴァントなのではなくて、サーヴァントというのは本来的に物語の中から出てきているものなんじゃないかと言いたいのです。

 少なくとも、「後世つけられた伝説が継ぎ足されて出てくる」という説明がある以上、「ほんとうに、本人に後世の物語が足されて出てきている」のか「後世の物語の中からキャラが出てきている」のかは、出てきたサーヴァントをどんなにくまなく調べたところで判別不能の状態にあります。カルデアの人々は、前者の理屈でサーヴァントが成り立っていると考えているけれど、じつのところ後者だったというのは考えられる話だと思うのです。

 これをもう一段階、恣意的に言い換えるとこうなるのです。

「FGOにおいて召喚されるヘクトールは、史実上のヘクトールというより、後世の人々が書いた同人誌に出てくるヘクトールである」


■未来のシェアード・ワールド

「FGOに出てくる英霊は、史実上の本人というよりむしろ、後世の人々が書いた同人誌のキャラに近いものである」

 というテーゼを、仮にOKということにして下さい。

 FGOで召喚される英霊・サーヴァントは、史実上の本人をモデルにして書かれた物語の中から出てきているものである。

 さて。

 ジャストナウ、現在、ぐだちゃんと善きカルデアの人々と愉快なサーヴァントの皆さんの必死の戦いが繰り広げられています。

 地球上の人類史がまるごと燃えてなくなるという汎世界的な怪事件を解決し、地球白紙化というさらなる危機をいままさに乗り越えつつあるところ。たぶんもう一個くらい世界の危機があって、それもきっと克服する予定。

 このままだと世界がまるごとなくなる、という危機を、2個ないし3個、たてつづけに解決したとなったら、これはもう人類史第一等の英雄だ。

 そんな人類史第一等の英雄の活躍が、何らかの記録に残らないとは考えられない。

 いや、さすがに、ぐだの活躍が全世界の全人類の知るところとなって祝勝パレードが開かれるとか、そういうことは起こらないかもしれない。でも、魔術協会とかアトラス院とか彷徨海とかが確実に何らかの記録に残す。

 あるいは日常に戻ったぐだが、手記を書くかもしれない。

 ぐだが手記を書かなくても、子供か孫に、「そういえばゆうべこんな夢を見てね」なんてことを語るかもしれない。聞いた子供や孫は、それを覚えていて、日記に書きつけるかもしれない。

 そういったことが一切起こらなかったとしても、世界がそれを覚えている。地球がそれを覚えている。宇宙がそれを覚えている。

 そういった記録が、いつしか時の流れのなかですっかり見失われたあとで、1000年か1万年か100万年かあとになって、ぽろっと「発見」される。
 するとどうなるか。

 これはすごい「物語」だ!
 こんなことが実際にあったのか、それとも誰かの突飛な夢想なのかは、もはやさだかではないが、とにかく構えが大きくてすさまじい物語だ。はるかな過去に、こんなすごいお話が書かれていたなんて!

 命を削って戦い続ける一般の若者ぐだちゃんの姿も心を打つが、周りで協力するサーヴァントのみなさんのトンチキ加減も最高だ。
 チェイテピラミッド姫路城? 何をキメたらそんなことを思いつくんだ!?

 そんなわけで、再発見されたFGOの物語が、はるか未来で大センセーションを巻き起こす……といったことを想像してみて下さい。

 紀元前19世紀に成立したギルガメシュ叙事詩が、いったん忘れさられたあと19世紀に解読されて、世界中に衝撃を与えた……というのと同じことがFGOの物語に関して起こる。

 世界中に衝撃を与えたギルガメシュ叙事詩の内容は、さっそく、近現代の物語に取り入れられていったわけですね。
 我々になじみ深いところでは、ギルガメシュ叙事詩の内容にインスパイアされて『ドルアーガの塔』が作られたり、アトラスの『女神転生』シリーズに組み込まれたり、『Fate/stay night』の魅力的な敵役となったり。ようするに自由奔放に改変されて二次創作のおかずになっていった。

 はるか未来で再発見された『FGOの物語』についても、同じことが起こる、と考える。

『FGOの物語』の魅力はなんといっても、美しくかわいらしく勇敢で、なおかつおもしろおかしいサーヴァントたちが大量に登場するところだ。こいつがもう、未来の人々の想像力をギンギンに刺激する。

 このサーヴァントとあのサーヴァントを組み合わせたらこんな面白いお話が作れるぞ、といった、同人誌的な二次創作が作られていく。

 そのうち、もとの世界観がしりぞいていって、キャラクターだけが残っていく。『ドルアーガの塔』の主人公はギルガメス(ギルガメシュ)だけど、世界設定にバビロニア要素はほとんど残っていません、みたいな作品が生まれていき、そっちのほうが主流になる。

 舞台設定は今の時代(未来)だけれど、サーヴァントたちは普通に登場します、みたいな『Fate/hollow ataraxia』的な作品も出てくる。未来世界がどんな様相になっているか知らないけれど、とにかくその時代における日常生活にサーヴァントがしれっと存在していてカフェでナンパしてるような作品が書かれたりする。

 サーヴァントというキャラクター群が、すっかり人類の共有財産になってしまうと、「自分の書いてる小説の世界に、サーヴァントを自由に出していい」という状態になっていく。

 各サーヴァントのイメージも、どんどん増殖・変形していって、原型をとどめないくらいになる。ようするにサーヴァント・オデュッセウスはトンチキ宇宙軍のトンチキ司令官に。サーヴァント・アルトリア・ペンドラゴンはトンチキ悪役商会のトンチキ鉄砲玉になっていく。

 そういう小説や映画を、いろんな人が(大量の人が)てんでばらばらに書いていって増殖しまくった結果、「それらの世界をぜんぶガッチャンコして、ぜんぶ同じ世界で起こってることにしたらいいじゃん」みたいなことになる。

 ようするに「サーヴァントもの」という作品群がひとつにまとまってシェアード・ワールド化する。
 いろんな作家がてんで勝手にクトゥルフ神話ものの小説を書いていて、それらの物語はなんとなく同じ世界で起こってるような気がしていて、多少つじつま合わなくてもまあ別にいいじゃんっていうような受容のしかたが発生する。

 そういう未来図が仮にあって、「サーヴァントたちのごった煮世界」みたいな作品群が発生していたとしたら、そのシェアード・ワールドはこんなふうに呼ばれそうです。「サーヴァントユニヴァース」


■物語から召喚されるもの

 上記のような、「サーヴァントユニヴァース成立仮説」をよしとするなら、サーヴァントユニヴァースは、これもまた、人類が持つに至った有力な「物語」です。

 物語……。

 本稿を始めるにあたって仮置きした大前提のテーゼによれば、
「FGOで召喚される英霊・サーヴァントは、史実上の本人をモデルにして書かれた物語の中から出てきているものである」

 サーヴァントは実はほとんど全て物語の中から出てきているものなので、物語の中にしかいないシャーロックやモリアーティも問題なく召喚できる。

 となれば。
 当然、はるか未来において成立予定のサーヴァントユニヴァースという物語の中から、ユニヴァース産のトンチキサーヴァントを召喚可能な道理なのです。

 こういうたとえ話がわかりやすいかもしれない。

 汎人類史の英雄を召喚しようとしたら、サーヴァントユニヴァースのサーヴァントが転がり出て来ちゃった。
 これっていったいどういうことなのか。

 それは例えるなら、
「ギリシャ神話の英雄を召喚しようとしたら、『聖闘士星矢』のペガサス星矢が召喚された」
 ようなもの。

『聖闘士星矢』という作品は、ギリシャ神話が人類共有の財産になって、どんなにいじくってもいいシロモノになり、魔改造につぐ魔改造をほどこされた結果出てきた極北のような物語ですものね。

 また、こうでもいいです。
「西遊記の孫悟空を召喚しようとしたら、『ドラゴンボール』の孫悟空が来た」
(これはガチャ大当たりだな)

 これは仮定の話なんですが、冬木の第一次聖杯戦争や第二次聖杯戦争は、『聖闘士星矢』『ドラゴンボール』が描かれるより前の時代に起こっていますよね。

 たとえば、第二次聖杯戦争で、アインツベルンが、英雄ペルセウスを召喚しようと思い立ち、触媒としてペガサスの羽根を用意したとする。

 ところが召喚陣から現れたのは、コスモを高める謎の踊りをゆらゆら踊る(アニメ版)ペガサス星矢だった。誰だお前

 そうこの場合、なんと、まだ『聖闘士星矢』なる作品はこの世に存在していないので、ほんとうにこの世の誰一人、この赤タイツ鎧少年が何者なのか知らないのです。

 カルデアの召喚システムから、ユニヴァース出身だとか名乗る、なんだかよくわからない誰も知らない謎のサーヴァントが召喚されるという現象は、つまるところそういう話なんじゃないか。

 現在においてまだ成立していない、未来世界の物語からサーヴァントを召喚可能なのか? という疑問もあるかと思いますが、輝星のハサンは「未来においてぐだと出会うことになる」という縁をたぐって、「これから起こる予定のイドの物語の記憶を持った状態で」召喚されていました。つまりイドの記憶を持つ輝星のハサンは「未来の物語において成立する予定のサーヴァント」なんです。そういうことを考えると、可能なのだと思います。

 あ、というか、「未来において成立する予定の英霊エミヤ」がまさに未来の物語から召喚されたサーヴァントでしたね。そういうことでOKだと思います。


■ここまでのまとめ

 はるか未来の時代、いったん人類社会から忘れ去られた「ぐだ戦記(FGOの物語)」が再発見され、古代神話として受容される。

 現実(現代)の我々が、「ギリシャ神話」を共有財産として持ち、それを想像力の中で好き勝手いじくって遊んでいるように、未来世界でも未来人が「ぐだ戦記(FGO)」の登場人物たちで好き勝手遊ぶようになる。

 各人がてんでばらばら書いたり作ったりした「サーヴァント物語」という作品群は、いつしかひとつの統一世界観のなかで行われる「シェアード・ワールドもの」としてゆるやかに統合されていく(サーヴァントユニヴァースの成立)。

 ギリシャ神話やギルメシュ叙事詩や古事記や旧約聖書などと同様に「人類が獲得した重要な神話物語」と化したサーヴァントユニヴァース創作群は、そこからサーヴァントを召喚できるほどになる。


■なぜ蒼輝銀河なのか

 サーヴァントユニヴァースは、「蒼輝銀河」という別名で呼ばれることがあります。

 一応、エーテルが満ちていてエーテルは青いから、みたいなことが言われているようですが(エーテルって青いの?)、まあ理由ははっきりとしません。

 はっきりしませんが、私は個人的にこう考えたいよね、という話をします。

 本稿の説では、蒼輝銀河と書いてサーヴァントユニヴァースは、未来において人類が書き上げる物語です。つまり未来の産物です。

 時間は未来に向かって流れており、私たちは絶えず未来に向けて進んでいます。逆にいえば、未来は絶えず我々のほうへ近づいてきています。

 光のドップラー効果というのがあります。自分から見て、遠ざかる光は赤く見え、近づいてくる光は青く見えます。
 つまり、現在進行形で我々のもとにぐんぐん近づいてくる未来の事物は、我々から見たら(もし目に見えるのなら)青く輝いているはずです。

 未来において成立する物語、未来の事物であるサーヴァントユニヴァースは、もし目に見えるものなら我々には蒼く光って見えるはずだ。だからこれは蒼輝銀河と呼ばれるのである……という説明があったとしたら私はきっとすごく腑に落ちるだろうなと思います。

 ヒロインXXオルタ(ユニヴァース産)と蒼崎青子が同時にカルデアに召喚されている場合、蒼崎青子は以下のようなメッセージを述べるようです。
(うちには蒼崎青子はいないので、神ゲー攻略さんから孫引きします)


「蒼輝銀河……どこまで行けばそんな未来に出逢えるんだろう。と言うか、先に宇宙アイドルやられてたわ。でもいいわよね、青い宇宙!よーし、俄然闘志湧いてきた!」


『Fate/Grand Order』



 私にはこのセリフは、「そこに向かって近づいていく以上、それは青く見えるだろう」という含みをもっているように読めます。


■物語の力(予告編)

「サーヴァントは物語の中からやって来ている」という命題は、実は、このFGOという作品全体を強力に支配している急所のようなポイントなんじゃないかと考えています。

 いまかいつまんで言うならば、FGOとは、
「物語の力に関する物語」
 なんじゃないか、というのが、私の読み方です。

 サーヴァントユニヴァースは未来の人類が編んだ物語である、というのも、実は「物語の力」なるもの、を示すためのギミックのひとつとしてとらえることが可能なんじゃないかと思っています。

 それについて、次回の投稿にて論じます。
 ということですので、この話は続きます


(続く)

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FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)

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FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)
 筆者-Townmemory 初稿-2023年12月24日



●前回のまとめ

 前回の内容を前提としたお話です。ので、前回をまずお読みください。こちらです。
●FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)

 さて。
 読んでくださいといいつつ、いちおう雑な要約をしておきますが、FGOの世界観には置換魔術というものがあって、それは、
「よく似たものは距離を全く無視して入れ替えが可能である」
 というもの。

 この理論を使って、面白いことを仕込もうとしたら、どういうことが考えられるかな、と私の頭が考えた結果、
「ぐだと我々プレイヤーは置換可能っぽいな」

 私たちは、ぐだと全く同じ経験を積んでおり、しかも、自分のことをぐだだと思い込んでいるのです。ひょいと入れ替えたところで、ぐだも入れ替えに気づかないし、我々も入れ替えに気づかないでしょう。

 おそらくこの物語には「ぐだが道半ばで死んだり倒れたりした場合、人理保証は失敗する」という条件がありそうだ。
 なので、ぐだが死にそうになったりリタイアしそうになったら、それを監視していた自動置換魔法システムみたいなものが、ぐだと私たちの一人を、ひょいと入れ替える。
 いわば「無限残機・無限コンティニュー」でゲームをしている状態になる。
 こういうシステムが組まれていれば、ぐだはほぼ絶対に物語を完遂するので、事実上、人理を「保証」できる。

 そしてこの置換魔術を運営しているのは、おそらくFGO冒頭で描かれた「資料館としてのカルデア」ではないか。つまり「資料館としてのカルデア」は未来の存在で、その実態はぐだの足跡を大勢の人間に疑似体験させるシミュレーターであり、目的は「ぐだのスペアを大量にストックする」ことではないか。私たちはそのストックではないのか。

 というようなお話で。
(くりかえすようですが、ご興味を持った方は先行の記事を読んでくださいね)

 私は、あーこれは意外性があっておもしろい、と自分の発想を自分でほめちぎったのですが、「この説は心につらい」と感じた方も少数いらっしゃるようで。


●ぐだの絶対性がゆらぐ

 一言でいうならば、「自分のところのぐだの絶対性がゆらぐ」といった方向性のことのようです。

 このゲームには多数のプレイヤーがいて、その一人一人の世界に各人のぐだちゃんがいる。それはわかっている。
 けれども、「私の世界」においては、「私の世界のぐだちゃん」がたった一人の、唯一の、絶対の存在なのである。

 自分には自分なりのぐだちゃん像があって、「私のカルデア」という箱庭の中で、自分のぐだ像を思い切り展開させて楽しんでいたのに、それを急に「よそのうちのぐだと取り替え可能な存在です」「唯一性なんてものはありません」「ほかのぐだとの差異なんてないし、かりにあったとしてもほんの誤差程度のことです」なんて言われたら困ってしまうし悲しくなるではないですか。

 というようなことだと私は読みました。

 なるほどというか、言われてみるともっともだ。そういう感覚があることは、よくわかります。

 ただ思うのですが、「もし仮に」私が提唱したような「置換魔術によるぐだ無限残機説」が、本当にこの物語に採用されていたとしたらですよ。
(繰り返しますが、「仮に」ですよ)

 このアイデアを思いついて採用した人は、「このアイデアを採用することでみんなを喜ばせよう」という気持ちだったはずだと思うのですね。

 それはなんでかというと……という話をごちゃごちゃ頭の中で揉んでいたらまたいろんなものが出てきたので、以下それをダラダラ書いていきます。よろしくどうぞ……。


●コフィンとレイシフト

 急に話は飛びますが、コフィンとレイシフトのことから始めたいのです。

 いわゆる考察界隈で、コフィンやレイシフトがどう解釈されているのか、よく知りません。でも、私の理解のしかたはこうですよというのをまずは語ります。

 ご存じのとおり、コフィンとは棺桶みたいな密閉された箱。ぐだがコフィンに入り、外でオペレーターがなんらかの操作をすると、ぐだは時間と空間をこえて特定の過去世界にワープする。

 これって私が思うに、「シュレディンガーの猫」の理屈を使っていると思うのです。

 説明不要かも、とも思うのですが、一応「量子力学? シュレディンガーの猫って何」という方もいると思うので、「SF小説を読むのにだいたい不都合がないくらいに」説明しておきますね。
(わりとふわっと述べるので、細部でおかしくても見逃してください)

 素粒子の分野では、電子や原子の位置ないし運動量は「確率的にしか把握できない」そうです。

 素粒子は、位置を「今ここにいるよね?」と決めようとすると、そのかわりに運動量が測定不能になってしまう。
 運動量を「今このくらいよね」と決めようとすると、そのかわり位置が測定不能になってしまう。

 大谷翔平が打ったホームランボールは、「位置はここで運動量はこれこれ」と数値で表すことができますが、素粒子ではそれができない。

 そして、「位置を観測すると運動量がわからなくなり、運動量を観測すると位置が分からなくなる」のですから、位置や運動量は、

「観測するという行為によって決まる」

 という、ちょっとびっくりするようなことを量子物理学者はいうわけです。

 このビックリな話をイメージとして理解するのにわかりやすいといわれているのが、「シュレディンガーの猫」というたとえ話。

 箱の中に猫を入れる。この箱は外部からの観測は一切不可能であるとする。
 この箱には二分の一の確率で内部に毒ガスが噴射されるボタンがついている。
 そのボタンを押す。

 毒ガスが噴射されたかされないかは、50%:50%の確率なので、二分の一の確率で猫は死んでおり、二分の一の確率で猫は生きている。でも、内部を観測することは不可能なので、生きているか死んでいるかは外からはわからない。

 これ、普通の考え方では、
「猫は死んでいる」(が、外からはそうとはわからない)
「猫は生きている」(が、外からはそうとはわからない)
 のどちらか片方ですよね。

 しかし、量子物理学の世界ではそうはならない。どうなるかというと、
「猫が死んでいる状態と、猫が生きている状態が、重なり合っていて、まだ決定されてない」
(両方が半々ずつ箱の中に入ってる)

 こういうのを、(猫が生きているか死んでいるかは)「確率的にしかとらえられない」(この場合は50%:50%)というのです。

 じゃあ、猫が生きているか死んでいるかはいつ決定されるのかというと、
「箱を開けて、中身を確かめた瞬間だ」

 つまり、猫が生きているか死んでいるかは、箱を開けて観測したときに決まる。

 さてそれをふまえて、コフィンとレイシフトの話に戻ります。


●観測できたものは存在する

 FGOにおけるコフィンは密閉された箱で、ようするに猫の入った箱のようなもの。中に入った人物のことは、外からは一切観測できなくなる。

 観測できないってことは、「コフィンの中に、ぐだがいるのか、いないのかはわからない。可能性は50%:50%だ」ということになる。
 つまり、この箱の中にぐだが入ったのだが、観測不能状態に陥ることで、「この中にぐだはいない」という可能性が50%発生したことになる。
(発生したことにして下さい)

「50%の確率で、コフィンの中にぐだはいない」のだとしたら、ぐだはいったいどこにいったのか。

 それは、「コフィン以外のこの世のどこか。時空のどこかに50%の確率で存在する」

 さて次に、カルデアのシステムとオペレータは、技術と魔術とエネルギーを使って、レイシフト先の特定の地域において、「ぐだの存在」をむりやり観測することにする。

 シュレディンガーの猫の理屈では、観測することによって、観測対象の存在や状態が「確定」します。
 FGOの世界には魔術がありますから、もし仮に、「絶対に猫の生存を観測する」という魔術が存在すれば、50%の確率で死んでるかもしれなかった猫の箱から「100%の確率で生きた猫を救出できる」。

 その魔術を応用して、「レイシフト先において絶対にぐだの存在を観測する」ということを実現すれば、「レイシフト先の地域にぐだがいるかも」という可能性は、単なる確率論ではなく真実となります。

 つまり、コフィンの中に入ったぐだを、レイシフト先に出現させることができます。

 魔術によって、「コフィンの中にぐだはいないかもしれない」を作り出す。
 魔術によって、「レイシフト先にぐだがいるにちがいない」を作り出す。

 すると、「コフィンの中にぐだはいません、レイシフト先にぐだがいます」ということが現実として確定します。これでレイシフト先にぐだを送り込んだことになります。

 細部で多少違っていたり、もっと細かい理論的な設定があるかもしれませんが(魂を情報化して云々みたいな設定があったよね)、大づかみにはこのようなことだ、これを考え出した人の発想の大もとはこのあたりだ、というのが私の考えです。

 本来の論理でいえば、そこに本当にぐだがいるからこそ、そこにいるぐだを観測できるのです。
 ぐだがいる、という現実が先に存在してから、ぐだを観測したという事象が発生する。これがふつうの論理です。
 ですが技術や魔術で、それを転倒させるわけです。

 まず、ぐだを観測した、という事象を先に発生させます。
 ぐだが観測できた以上、そこにぐだがいないというのはおかしい。
 だから、そこにぐだは存在しはじめる。

 ちょっとあやふやな話になりますが、この「むりやりに観測を先行させる」のを、カルデアは「存在証明」と呼んでいるんじゃないかな……。
 カルデアのオペレーターやマシュが、レイシフト直後に「存在証明を確立、維持に集中します」みたいなことをよく言います。
 ようは、カルデアのシステムやエネルギーを使って、「レイシフト先の地域にぐだがいます」という観測を維持しているかぎり、「レイシフト先にぐだがいる」という状態が現実となり、ぐだの存在がレイシフト先で確定する。(コフィン内にはいないことになる)

 しかし、もし仮に存在証明を維持できなくなった場合、「コフィンの中にぐだはいないかもしれないし、レイシフト先にもいないかもしれない」という状態になり、ぐだの存在はきわめてあやふやなものとなる。
 ようするにぐだはどっかに消え失せて、どこにも存在しない人になってしまう危険がある。
 だからカルデアは、ぐだの存在証明を最優先で維持しようとする。

 ちなみにこれ(存在と観測の転倒)は宝具ゲイボルグの能力に近しい。ゲイボルグは「まず対象に命中したという結果を発生させてから、槍を投げる」という転倒を可能としました。それと似ている。
 私独自の説にひきつけていえば、第五魔法の効果にも近しい(まず根源に到達したという結果を発生させてから、根源に向かう。原因と結果を入れ替える)。

 あ、今気づいたさらなる余談ですが、だとするとゲイボルグや第五魔法は、シュレディンガーの猫の理屈で成立している(発想の大もとはシュレ猫だ)のかもしれないですね。

 普通の考えでは、対象の状態が確定してから(原因)、対象の状態を観測することができる(結果)。
 でも量子力学の分野では、その逆のことが起こる。
 まず対象を観測する(原因)。すると、対象の状態が確定する(結果)。

 これをつづめると、「原因と結果の逆転」。

 つまり自然界でも、場合によっては、原因と結果は逆転しうるのである。これを恣意的にコントロールすることができるなら、因果というものは操作可能であるはずだ。

 というところから発想をすすめていき、これをエンターテインメントに落とし込むと、ゲイボルグみたいな必殺武器が出力されてくる。


●クラウド的な私たち

 なんで急にこんな話をしだしたか、という説明をいまからします。

「ぐだと無数のプレイヤーは置換可能である」「そして本当にときどき置換されている」という本稿の説が、もし仮に、実際にFGOに採用されているとした場合。

 それを実現している「ぐだ置換システム」も、実は大づかみ、シュレディンガーの猫ちゃんの理屈でフワッと(モフっと)包み込まれているんじゃないかと思ったのです。

 前回の「ぐだ無限残機説」では(しつこいですが前回をご覧くださいよ)、本物のぐだ一名に対して、予備のぐだが順番待ちのようなことをしていて、たまに一対一ですげかえる……というようなモデルで説明をしました。

 これはわかりやすいし、基本の発想としてはこれでいいとは思っています。
(つまり、これが思いつかれた瞬間の、最初の形はこうだっただろうということ)

 が、
 これをちょっと修正したくなりました。

 もっと、なんというか「クラウド的」なモデルで考えたほうが理にかないそうだ。

「ぐだのスペア」である私たち、大量のプレイヤーは、個々の人間というより、群体のようなものとしてとらえられている。……ような気がするのです。


●大量のぐだが入った鉄の箱

 どういうことかというと、こういうモデルです。

 巨大な鉄の箱がひとつあって、この中に、オリジナルぐだと、無数のぐだスペアが入っていると思って下さい。
 箱の中に、大量のぐだがうじゃうじゃうじゃうじゃうごめいている感じ。

 この鉄の箱は、中身の状態を外部から知ることは一切できないものとします。

 箱の中に、一か所だけ、ピンスポット(一人だけ照らし出すスポットライト)が当たっている場所がある。
 このピンスポットの中に、常に必ず一名のぐだが入っている(スポットがあたっている)ものとします。

 この「ピンスポットの中のぐだ」が、現在、「現実世界においてアクティブになっているぐだ」です。

 今、ちょうどスポットが当たっているぐだが、外の世界で「たったひとりしかいないぐだ」として、白紙化地球をなんとかしようと戦っていると思って下さい。
 一名のピンスポぐだが、現実世界で矢面に立って戦っている。

 そして、この巨大な鉄の箱は、わりと頻繁に、シャカシャカしゃかしゃかシェイクされるものとします。すると、「いまピンスポあたってるアクティブなぐだ」はランダムに入れ替わる。
 今までピンスポあたってたぐだは、ピンスポの外に出る。そのかわり、別のぐだがピンスポの中に入る。その「別のぐだ」が、現在アクティブになっているぐだとして、世界を救う大事業の矢面に立つ。

 現在のピンスポぐだになんか不都合が起こると、カルデアシステムは鉄の箱をシャカシャカして、別のぐだに交代させる。
 だけど、特に不都合が起きなくても、わりと定期的にこの箱はシャカシャカする。


 ……つまり、一機死んだら二機めが出現する残機型モデルではなくて、「いま戦っているのはこっちのぐだ、次の状況に対応しているのはあっちのぐだ」というように、かなりめまぐるしくとっかえひっかえが起こっている。

 そしてこれは置換魔術の話なので、一人一人のぐだの認識では、自分の物語を走り抜けているだけなのです。
 いま自分にピンスポ当たってるか当たってないかは、ぐだたち本人にはわからない。

 そして、この箱は、「外から中身を観測不可能」という条件があるので、「いまどのぐだがアクティブなのか」は外からもわからない。ようするに、誰一人としてそれを識別できない。

 以上のことを、一言でまとめるとこうなるのです。

「いま、どのぐだがアクティブになって現実に対応しているのかは、『確率的にしかとらえられない』
 ああ、なんて量子力学(奈須さん風の言い回し)。

 シュレディンガーの猫のたとえ話では、「生きた猫」と「死んだ猫」という、二種類の猫が、「確率的な重なり状態」にありました。

 これがぐだの例では、「何万人か、何十万人という大量のぐだが、確率的な重なり状態にある」ということになるのです。


●オリジナルとコピーの区別はもうない

 このように、「無数のぐだたちの誰がいまアクティブなのかは確率的にしかとらえられない」とする場合、こういうことがいえます。

「どのぐだがオリジナルのぐだなのか、という疑問はもはや無効である」

 その疑問が無効になるように、構造ができている。

 箱の中にはオリジナルぐだとスペアぐだが入っていて、もはやごちゃまぜになっている。箱の中の全員が「自分はオリジナルだ」と思っているし、ぐだ全員が同等の能力と記憶を持っているので、本人にも他人にも、区別はいっさいつかない。

 そして、それら大量のぐだは、確率的にピンスポの中に入るので、

「確率的にいって、ぐだ全員が、世界を救う唯一の戦いの矢面に立っている」

 オリジナルとコピーの差は何なのか、という問いはもはや無効である。全員に差がなく、全員が「世界を救う唯一の戦いの矢面に立っている」のだから、全員が本物であり、「全員で本物」なのである。

 一機死んだら二機めが出てくる残機説に比べて、こちらのモデルが明らかにすぐれている点がひとつある。
 それは、

「あなたの世界のぐだは、あなたの世界限定の単なるぐだコピーなのではなく、世界を救った本物のぐだなのである」

 という結論が発生するところだ。

 ここまで書いてきたようなモデルが、「もし仮に」この物語に採用されているのだとしたら、それは採用した人が、

「あなたのぐだが本物であり、あなたたち全員がひとまとまりで本物なのである」

 という形をプレゼントしてくれようとしたからだと思う。私はこの形を美しいと思うのだけど、でもまぁ、こういうの別に恩寵とは思わない、という考え方もよくわかるのだった。


●なぜ、ぐだはレイシフト適性が100%なのか

 与太話の先に与太話を接ぎ木するのが続いておりますが、さらにまた接ぎ木。

 なぜかはわからないが、ぐだはレイシフト適性を100%持っている、という話がありますね。

 この話を書いていてふと思ったのですが、「ぐだという人は、そもそも存在自体が確率的だから」という前提を置くと、腑に落ちる感じがするのです。

 本稿の話では、「確率的にいって、レイシフト先に存在する可能性がゼロではないぐだを、量子論的観測によって強制的に存在させる」のがレイシフトでした。
(そうではないといえそうな根拠もいっぱいあるけどまあ横に置いといて下さい)

 そしてまた本稿の話では、「ぐだという人は、一人の人間というより、無数のぐだが確率的に重なり状態になった存在である」ということでした。

 たとえるなら、ぐだは、ペットボトルに入った水のような存在ではなく、大気の中の水蒸気のような存在で、本質的には同じ水ではあるんだけど、後者は確率的にしかとらえられないようなもの。

 この世にはじつは大量のぐだが存在する、という話は、「この世にあまねく存在する」という言い換えが可能なんじゃないか。

 だとすると、カルデアのシステムが、レイシフト先の世界においてぐだを強制的に観測することがものすごく容易そうにみえる。ぐだが遍在的な存在なら、「そこ」に存在する確率は高くなるので、強制観測がしやすい。

 コフィンの中に、通常の人間が入り込んでフタを閉めた場合、「この人物がコフィンの中にいるかいないか」は「50%:50%」なのです。

 でも、ぐだは存在自体が確率的重なり状態の人間ですから、事情がかわってくる。

 わかりやすく、「ぐだは、1万人のぐだが重なった存在だ」としましょう。

「ぐだはコフィンの中にいない確率」は50%です。でも、「コフィンの中にいる確率」は、50%÷10000×10000なんです。

 つまり、50%÷10000=0.005%の確率で「ぐだ00001番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00002番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00003番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00004番」がいる。

 そういうのが一万回ずらっと続いて、最後に0.005%の確率で「ぐだ10000番」がいる。

 そういう計算になります。

 そして、「コフィンの中にぐだがいない確率が50%」ということは、「コフィン以外のこの世の全時空のどこかにぐだがいる確率」が50%ということです。

 これも同様に、
 コフィン以外の全時空のどこかに0.005%の確率で「ぐだ00001番」がいる。
(中略)
 コフィン以外の全時空のどこかに0.005%の確率で「ぐだ10000番」がいる。

 こんな感じで、ぐだは全世界の全時空に「遍在」しうる。

 全世界の全時空に遍在する存在は、単に「いる」か「いない」かの二択ではない捉え方をすることができる。

 そういう特性を持った人間は、「そこにいる」可能性をつまんでひっぱりあげることが、おそらく容易だろうと想像できます。

 通常の人間をコフィンに放り込んで観測不能にしたところで、その人間が「特定の特異点の特定の場所」で存在確認される可能性は限りなくゼロに近いでしょう。この場合はレイシフト適性はほぼゼロだということができる。

 ところがぐだは存在自体が確率的重なり状態で、この世にうっすらと無限に散らばることができそうなので、「特定の特異点の特定の場所」にたまたま存在確認できる可能性が爆発的にあがる。

 レイシフトの成功率が100%というのはそういうことなんじゃないか。


 例えばこういう言い方。
 個の唯一性(非・確率性)が高いほどレイシフト適性が低く、個の遍在性(確率性)が高いほどレイシフト適性が高い。
 くだいていうと存在があやふやな奴ほどレイシフトしやすい

 みたいなことを考えると、わりと心地よくつながるので、おもしろいかなっていう話でした。まあ、こんなん出てきましたので、ここにそっと置いておきますね……。


●余談・なぜフレンドのサーヴァントを借りられるの?

 このゲームでは、フレンドからサーヴァントをレンタルすることができます。自分がまだ召喚していないサーヴァントを、まるで自分ちのカルデアに召喚したサーヴァントのようにあやつることができます。

 自分が召喚していないサーヴァントをなぜ使えるのか。それは、自分のぐだとフレンドのぐだは重なり状態にあるからだ。
 箱の中で一匹の猫が「生きた猫」と「死んだ猫」という、二種類の状態に分岐しつつも、全体としては「一匹の猫」でありつづけるように、わたしたちぐだは、「何万人か何十万人か」という、ほとんど無数の状態に分岐していながら一人のぐだであるからです。
 わたしたちぐだは、ひとりのぐだでもあるのだから、別のぐだが召喚したサーヴァントを、自分のもののように使役できるのはそんなにおかしくないのです。


●余談2・廃棄孔

 ぐだの心の中(だったかな?)には廃棄孔という謎めいた場所があって、よくないものがうごめいていたり、世界のなんか怪しい場所とつながっていそうだったりする、というような設定があります。巌窟王エドモン・ダンテスが掃除してくださってる場所ね。

 ぐだにかぎってなんでそんな廃棄孔なるものがあるのか、の原因が「無数のぐだが確率的に重なり状態になった一人のぐだ」という構造にある……なんていうことがあっても面白いなあと考えたので、ここにメモっておきます。

 ようするに、一人の人間を人為的にここまで多重化した例なんて他にない。本稿の説では、ぐだという人間の唯一の特異な特徴とはこの重なり状態にあるのである。廃棄孔というのも、ぐだ個人に紐づけられた特異なポイントなので、その二つは結びついていると考えるのは自然な流れです。

 存在を多重化したことによるゆがみが出ているなど考えればよい。
 例えば、無数のぐだの中には、旅の途中で死んだり、動けなくなってリタイアしたぐだもいるわけですね。

 そういうぐだを、ぐだをストックしている鉄の箱の中にいつまでも入れておくとさしさわりがあるので、別のところに取り出してため込んでおく。
 その死にぐだ捨て場が煮詰まってああいう場所ができた、などでもいい。

 また、無数のぐだが、一人のぐだとして多重化状態になるためには、やはり、ぐだスペア各々の固有性みたいなものを振り捨てないといけないのかもしれない。
 そういう「振り捨てたもの」を置いておく場所がブラックホール化したなんていうかたちでもいい。


■ちょっと関係ある続きのようなものを書きました。
FGO:マリスビリーの目的と事象収納(置換魔術その3)

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FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)

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FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)
 筆者-Townmemory 初稿-2023年10月15日


 FGO(Fate/Grand Order)に関する記事です。


●置換魔術とは何か

「オーディール・コール 序」という場面に、「置換魔術」というものの説明があります。

 作中の説明によれば、置換魔術とは、「よく似た二つのものは、距離をまったく無視して入れ替えが可能である」という魔術理論。

ダ・ヴィンチ
「だろうね。
 魔術世界には置換魔術というものがある。」
ダ・ヴィンチ
「たとえば、ここにゴルドルフくんAと
 ゴルドルフくんBがいたとして、」
ダ・ヴィンチ
「彼らがまったく同じ構成・情報量である場合、
 どんなに離れた場所でも入れ替える事ができる。」
ダ・ヴィンチ
「なぜか? それはもちろん、第三者から見て
 『なんの違いもない』事だからだ。」
ダ・ヴィンチ
「置換された者にしか『入れ替わった』事は分からない。
 いや、場合によっては本人たちでさえ分からない。」
ダ・ヴィンチ
超常的な事が起きたというのに世界に異常はないんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 こういう条件の時、魔術はとてもよく働く。」

『Fate/Grand Order』オーディール・コール 序


 作中では、この魔術理論を使って、
「カルデアス(地球のコピー)の表面と、真の地球の表面が入れ替えられたのではないか」
(地球表面が一瞬にして白紙化されたのはこのためではないか)
 という推測が語られていました。

 これはおもしろい理屈で、いろんなところに使えそうだと思いました。

 いや、使えそう、というか、「この理屈を使っておもしろい展開を導く」ということがプランされていて、その準備として説明されているのかなと感じます。

 なので、
「この物語上で、何と何を入れ替えたら、いちばんドラマチックになるだろうか」
 ということをボワーと考えていました。そしたら、ひとつ思いついたことがあります。

 それは、

「この物語の主人公(ぐだお/ぐだ子/藤丸立香)と、私たちプレイヤーは、入れ替えが可能そうだな」


●ぐだではない私たち

 わたしたちプレイヤーの大半は、自分のことを「ぐだ」だと思い込んでゲームをプレイしているものと思います(基本、私もです)。

(注:藤丸立香という名前をあんまり好まないので、以下、物語上の主人公のことを「ぐだ」と呼称します。ちなみに「ぐだ」とは、「グ」ランドオー「ダー」をつづめたもので、ユーザー内で自然発生したあだ名)

 だけど思い返してみると、この物語には、「プレイヤーとぐだは別人ですよ」ということをほのめかす情報がしっかり置かれています。

 それは、まさにFGOの冒頭。
 FGOは、私たちプレイヤー(らしき人物)が、カルデアの正面ゲートで自動化された検問を受けるところから始まります。

アナウンス
「―――塩基配列  ヒトゲノムと確認
 ―――霊器属性  善性・中立と確認」
アナウンス
「ようこそ、人類の未来を語る資料館へ。
 ここは人理継続保証機関 カルデア。」
アナウンス
「指紋認証 声紋認証 遺伝子認証 クリア。
 魔術回路の測定……完了しました。」
アナウンス
「登録名と一致します。
 貴方を霊長類の一員であることを認めます。」
アナウンス
「はじめまして。
 貴方は本日 最後の来館者です。」
アナウンス
「どうぞ、善き時間をお過ごしください。」

『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ ※下線部は引用者による


 どうやら、この時代のカルデアは、人理保証を達成したカルデアの事績を記念する資料館のようなものになっているもようです。
(引用部5行目にある通り、「ここは資料館でござい」とアナウンスで言っていますものね)

 ようは、物語がすべて終わったあと、「主人公と仲間たちはこんなにすごいことをしたんだ」ということを広く人類に伝える施設になっているっぽい。

 このあと、入館手続きの完了まで180秒の待ち時間が発生し、その間、「模擬戦闘でマスター体験をお楽しみください」ということになり、最初の戦闘シーンになる。

 その戦闘シーンがおわると、私たちの視点はぐだのものとなり、カルデアの廊下でぶったおれていたところをマシュに見つかる。

 そういう流れでした。

 なので、まずひとつめの大前提として。
 私たちプレイヤーの本当の立場は、人理保証が成立したずっと後の時代に、人理保証資料館をおとずれた無名の人物である。
 ということになる。
 少なくとも、そう強く推定されることになります。


●なぜ我々は自分をぐだだと思ったのか

 前述のとおり、カルデア資料館に入館した我々は、自分がぐだになって、人理焼却直前のカルデアでぶったおれているという状況にあることを発見します。

 この時点で、我々は自分をぐだだと思い込み始め、そのまま現在でも物語が続いて行っています。

 なぜこのような視点のすりかわりが発生したのか。
 それは、このカルデア資料館が、
「世界を救ったぐだの事績とまったく同じものをバーチャル体験できるという施設」
 だからだと思います。

 さきほどの(FGO冒頭の)引用部の続きはこうなっています。

アナウンス
「……申し訳ございません。
 入館手続き完了まであと180秒必要です。
アナウンス
「その間、模擬戦闘をお楽しみください。」
アナウンス
「レギュレーション:シニア
 契約サーヴァント:セイバー ランサー アーチャー」
アナウンス
「スコアの記録はいたしません。
 どうぞ気の向くまま、自由にお楽しみください。」
アナウンス
「英霊召喚システム フェイト 起動します。
 180秒の間、マスターとして善い経験ができますよう。」

『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ


 このように、英霊召喚シミュレーターが起動して、模擬戦闘体験ができるという仕掛けになっている。

「どうぞ気の向くまま、自由にお楽しみください」なんていうのは、およそマスター候補生に対して言う言葉ではないように思います。もっと気楽な立場の人への言葉、いうなれば観光客向けのような言葉です。

「スコアの記録はいたしません」とアナウンスが言っているところにも強く注目します。

 今回はスコアの記録をしない、ということなのですから、通常時にはスコアの記録をしているということになります。
 では通常時とは何か。
 それはこの資料館のメインコンテンツだろう。
 もっと複雑で難易度の高い模擬戦闘シミュレーターがあり、そちらではスコアを記録していて、リザルトを他人と比較できるようになっているのだろうと推測できます。

 そして、この施設のメインコンテンツは、単に戦闘を疑似体験できるというだけにはとどまらないだろう、とも推測できます。

 なぜなら、我々は、入館直後にはすでにぐだになりきっていたのだからです。
 これを、「ぐだシミュレーター」が提供している疑似体験だと考えることにするのです。
 単に戦闘を体験できるということにとどまらず、ぐだの境遇をまるごと全部追体験できる、というのがこの施設の趣向だと思います。

 単に戦闘がすごかったんだ、という側面を体験させるだけでなく、ぐだがどんな人間関係を築いたか、どんな場所にいって、どんな経験をしたか、そこでどんな思いをしたのか。
 そういうことを自分のことのように体験してまるごと知ってくれ、ということが、この資料館では意図されている。

 つまりこのFGOというゲームは、ぐだシミュレーターによって提供されている、英雄ぐだの足跡を、我々が疑似体験しているものだ……というふうに考えられるのです。


●カルデア資料館の真の目的

 さて。
 未来のカルデア資料館が、「ぐだの足跡を大勢の人に疑似体験させる」という性質のものである場合。

 ぐだと同等の能力を持ち、ぐだとまったく同じ経験を経ており、自分のことをぐだだと思い込んでいる人物、が、この世に大量に存在していることになります。

 そこで置換魔術の話になる。

 ぐだとまったく同等の能力と経験と記憶をそなえた人物は、ぐだ本人との入れ替えが可能そうだ。
 資料館の真の目的はそれではないのか。

 もっとはっきりいうと、ぐだシミュレーターを装備したカルデア資料館は、「ぐだのスペアを大量に確保する」という裏の目的をもって設置されてはいないか。


●無限残機による人理保証

 ここからは大きく推測が入ってきますが、おそらく、
「ぐだが死んだり、途中で心が折れてリタイアしたりして、物語を完走しない場合、人理保証は絶対に成功しない」
 という大条件があるのだと思います。

 そういう条件が、トリスメギストスなりシバなりの計算や、周りで見ていた人たちの実感として、完全に判明したと考える。

 でもこの物語はむちゃくちゃに過酷なので、ふつう、常人には完走は無理。ぐだは常人なので、よくがんばってはいるのだけど、ふつうに考えたら無理。

 そこで、ぐだとの間に置換魔術が成立しうる、ぐだと同等の存在を大量にストックしておく。
 ぐだの心がポッキリ折れたり、死んだりした場合、その直前のポイントで、ぐだ本人と、ぐだスペアを「置換」する

 私たちぐだスペアは、シミュレーターにかかっており、シミュレーターの中の体験を現実だと思っていて、自分のことをぐだ本人だと思い込んで一切疑っていない。
 なので、急に「現実のぐだ本人」と入れ替わったとしても、それに気づかない。置換されて以降は、私たちぐだスペアが「本人」として、物語を走っていくことになる。

 いっぽう、死んだぐだ本人は、ハッと目覚めるとシミュレーターの中にいて、
「ああ、夢か。死んだかと思った」
 そうして、人理保証がはるか過去のことになった未来世界で、「ぐだスペアの」日常に帰っていく。

 そのようなことが繰り返される。「本人」の立場に置き換わった元ぐだスペアがリタイアすると、また別のぐだスペアが送り込まれてくる。

 卑近な言い方をするならば、このアイデアは「無限残機・無限コンティニュー」で人理保証を完遂しようという方式なんですね。

 無限に残機があって、無限にコンティニュー可能なら、どんなに困難なゲームでも、いつかは絶対クリアできます。
 そのような形で、人理を「保証」している。

 資料館カルデアは、資料館となった後でも、「人理継続保証機関」を名乗っています。

アナウンス
「ようこそ、人類の未来を語る資料館へ。
 ここは人理継続保証機関 カルデア。」

『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ


 資料館カルデアは、人理の危機に対して「英雄の無限残機」を提供しており、これあるかぎりほぼ絶対に人理の継続は保証されますから、この施設が人理継続保証機関を名乗るのは納得なのです。


●いくつかの傍証

 プロローグ部分で、カルデアの検問は、訪れた我々に対していくつかのチェックを行っています。

 たとえば、ヒトゲノムを確認して人類であることを調べ、属性が善性・中立であることを確認しています(先の引用を参照のこと)。

 これは、「ぐだスペアになりえない個体の入館を阻んでいる」と考えるのも興味深い。

 ぐだは霊長類・人類なので、そうではない入館希望者を拒む。
 たとえば虞美人みたいな、高度な知的生命体ではあっても人類ではない存在をはじく(のかもしれない)。

 ぐだの属性は善性・中立なので、そうではない入館希望者を拒む。
 属性がちがうと、ぐだが選択しないような大きな選択をする可能性があるし、そもそも置換が成立しないのかもしれない。

 そしてカルデア入館検問は、性別を識別しない。ぐだは男性でも女性でもよいからだ。


 ……といったような、「置換魔術によるぐだ無限残機説」は可能かなと思っています。

 この説におけるいちばん大きなポイントは、
「この説では、我々プレイヤーとは何者か、が定義されうる」
 というところです。

 我々はぐだ本人ではないが、いつか何かの拍子に、ぐだ本人とすげかわる可能性のある存在のひとりだ。

 いや、ひょっとしたら、もうすげかわっているのかもしれない。すげかわっているかどうかは本人にもわからないそうですからね。


●追伸・別案

 ここまで書き終わった直後に、ふと思いついたことがもうひとつあったので、追記。

 もう少し大きく捉えて、こうでもいいですね。

・実は、現実世界は人理保証に失敗し(ぐだが敗れて)滅んでいる。
・この世界滅亡を撤回したいと思った何者かが、カルデアスなり並行世界なりに、資料館カルデアを作った。
・大量の人間をシミュレーターに放り込み、ぐだの事績をそのまんま体験させる。
・もしもその中に、冒険に成功して汎人類史の人理を回復する者が出てきたら、「シミュレーター内の世界」と「滅んだ現実世界」を置換する。

(了)

 ちょっとした続きを書きました。
 FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)

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TYPE-MOONとマイケル・ムアコック、そしてジーザス(TYPE-MOONの「魔法」(8))

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TYPE-MOONとマイケル・ムアコック、そしてジーザス(TYPE-MOONの「魔法」(8))
 筆者-Townmemory 初稿-2023年9月17日


 こないだ寝てる間に思いついた(よくあることです)ちょっとした話を。

 最終的には「第三魔法って、いつ、だれが実現したの?」という話につながる予定です。

 これまでの記事は、こちら。
 TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
 TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する
 TYPE-MOONの「魔法」(3):第四魔法はなぜ消失するのか 
 TYPE-MOONの「魔法」(4):第五の継承者はなぜ青子なのか
 TYPE-MOONの「魔法」(5):第六法という人類滅亡プログラム 
 TYPE-MOONの「魔法」(6):「第六法」と「第六魔法」という双子
 TYPE-MOONの「魔法」(7):蒼崎青子は何を求めてどこへ行くのか


●マイクル・ムアコック

 マイクル(マイケル)・ムアコックというイギリスのSF・ファンタジー作家がいます。作品に英国への憎悪が見られるので、ひょっとしたらルーツはスコットランドかアイルランドかもしれない。

 日本のファンタジー・シーンに絶大な影響を与えた人だと言い切っていいと思います。堀井雄二も芝村裕吏も河津秋敏も、たぶん坂口博信も強い影響を受けている(栗本薫はたぶん受けてない)。

 わかりやすい功績をひとつあげるとするならば、「異世界転生というアイデアを決定的な形でプレゼンテーションした人」
 初めて異世界転生を書いたというわけではないが、「これ以降のこのジャンルは彼の影響を検討せずに語ることはできないだろう」というような作品を書いたということです。私見では、日本の異世界転生もののルーツはナルニアよりはむしろムアコックであることが多いと思います。
(独自の意識を持つ魔剣、というアイデアも、決定的にしたのはムアコック)

 さて。
 80年代~90年代のファンタジーブーム&シーンを、若いころにバキバキに浴びまくっていたと推定されるTYPE-MOONの人たち。
 彼らもムアコックからむちゃくちゃに影響を受けている。奈須きのこさんは間違いなく読んでいるといいきれる。


●英雄の介添人

 TYPE-MOON作品を読んでいると、「あ、これはムアコックだな」と感じられるポイントが、けっこうあります。

 ものすごく端的な例をひとつ挙げるならFGO、ブリュンヒルデのスキルに、
「英雄の介添 C++」
 というのがある。

 英雄の介添(英雄の介添人、英雄の介添役)というタームの初出はムアコックの翻訳なんです(最初にそう訳したのはたぶん斎藤好伯)。私はそれ以前の用例を知らない。

 ムアコックバースにおける英雄の介添役は、「主人公の相棒になって、助力をしたりガイド役を務めたりすることをあらかじめ運命づけられた人」。ブリュンヒルデは設定的に「英雄の助力者」なので、ムアコックの設定に沿っている。

 なお芝村裕吏さんも芝村バースにおいて、「英雄の介添人」「夜明けの船」なんていう、そのものずばりに近い用語をなんの屈折もなく採用されていますね(こういうそのまんまの使い方、私は大好き)。


●「指揮をとれ、ストームブリンガー!」

 TYPE-MOON作品を読んでいて、私が最初に「おおお、なんてムアコックなんだ」と思ったのが、『Fate/stay night』で、ギルガメッシュが王の財宝を展開するシーン。

 空中に無数の穴があき、そこから、古今東西ありとあらゆる英雄譚に登場する聖剣・魔剣のたぐいがぬうっと出現し、そのまま水平に浮かんで、主人公をねらう。

「おおお、なんて、これはなんて『指揮を取れストームブリンガー』なんだ!」

 ムアコックの『エルリック・サーガ』には、持ってるだけでたいがい不幸になるストームブリンガーという魔剣が登場します。最終巻『ストームブリンガー』にて、主人公エルリックは、
「百万もの並行世界から無数のストームブリンガーを召喚し、敵に向かっていっせいに投射する」
 という奥の手を披露するのです。

「ストームブリンガー――」エルリックは言った。「いよいよおまえの兄弟たちの出番だな」
(略)
 やがてかれのまわりにいくつもの、半ばこの次元に、半ば〈混沌〉の次元に属している、影のような姿があらわれてきた。それらがうごめくとみるまに突然、あたりはびっしりと百万もの剣、ストームブリンガーと瓜二つの剣に満たされたのである!
(略)
「指揮をとれ、ストームブリンガー! 公爵らにかからせろ――さもないとおまえのあるじは滅びて、おまえも二度と人間の魂をのめなくなるぞ」

マイクル・ムアコック『永遠の戦士 エルリック4 ストームブリンガー』早川書房 井辻朱美訳 P.328~329


 この百万もの魔剣は、いっせいに射出されて、敵をめった刺しにするという攻撃方法を見せます。
 ギルガメッシュの王の財宝は、私には、エルリック・サーガの明確なオマージュにみえました。オマージュというか、「かっけえ! 俺もこれやりたい!」という感情が伝わってきた。

 ムアコックのこの部分、「無数の並行世界から、同一存在を無数に召喚してくる」というアイデアになっているのも、興味深い。

 なぜなら『Fate/stay night』に出てくる遠坂凛の宝石剣が、まさにそういうアイデアだからです。

 凛が組み立てた宝石剣ゼルレッチは、「無数の並行世界から、同一現場に満ちている魔力を自分の手元に集める」という秘密兵器でした。その力でピンチを脱したのです。


●主人公は全員同一人物

『Fate/stay night』については、その重要な設定の大部分が、ムアコックの影響下にあると感じられます。
 というか、「ムアコックから得た発想や気づきを、自分なりに再構成して、独自の世界をつくりたい」という欲求にもとづいて、『Fate/stay night』は作られている(そういう部分が多い)、というのが私の考えです。

 ムアコックは、剣と魔法のファンタジー小説を量産してきたのですが、あるときから、「私の書いた主人公はすべて同一人物だ」と言い出しました(たぶんジョセフ・キャンベルを読んだんだと思う)。

 いろんな並行世界に、さまざまな顔や出自を持った主人公が配置されているのだけど、それらはみな「同じ魂を持つ」という。

 さまざまなヒーローが全部同一人物って、どういうことなのか。それが『エレコーゼ・サーガ』で語られます。
 それぞれの並行世界には、主人公である英雄が、あらかじめ存在しています。
 だけども、それはいってみれば、「まだ中身が入っていない英雄」と言ったような状態であるらしい(注:これは私の解釈コミです)。

 運命(フェイト)が、「この英雄に重要な役割を果たさせたい」と考えたときに、ヨソの世界から「中身」(魂)が召喚されて、この英雄に入り込む。
(運命と書いてフェイトも、ムアコック作品でよく使われる言葉)

 この「英雄の中身」は、現代人のジョン・デイカーという男なのですが、かれは突然、自分の世界から引きはがされ、異世界に転移させられ、気づくとその世界の英雄となっており、「英雄なんだからなにがしかのクエストを達成してこい」と強要されることになる。

 このクエストを達成したからといって、かれには何のほうびもないし、メリットもない。でも、やらないといけない状況に追い込まれて、しかたなく、命がけで戦わされる。そして元の世界に帰るみこみはまったくない。

 ムアコックの主人公のだいたい全員が、こういう成り立ちになっている、とムアコックは設定した。
 主人公たちのなかには、ジョン・デイカーとしての意識を持っている者も(少数)いるし、大多数は持っていない。だから、自分が異世界転生者であるとは、ほとんどの主人公は気づいていない。
 なので、「全員同一人物設定」を思いつく前に書かれた主人公も、問題なく、この設定に組み込むことができた。


●ガワが先行し、中身がついてくる

 以上のようなムアコックバースの設定から、TYPE-MOONに話を戻すと、上記の話から、重要なポイントをふたつ(つきつめればひとつ)、取り出すことができます。

 ひとつめ。ムアコックのヒロイックファンタジーは、「自分の意思とは関係なくどっかの世界に転移させられて、望んでもいない戦いに駆り出される」という悲哀がトーンになっているという点です。この悲哀がムアコックの魅力なんですね。

 これはTYPE-MOONでいえば、英霊、とりわけエミヤのような守護者を想起させます。エミヤは自分の意思とは無関係に、とつぜんどっかの場所に現界させられ、虐殺にちかい戦いを強要される……という気の毒な境遇にありました。

 そしてその延長上にあるふたつめの重要なポイントは、「ガワが先行しているところに中身が送り込まれてくる」という構造です。

 ムアコックの主人公(特にエレコーゼ)は、その世界にあらかじめ存在していた人物(ガワ)の中に、本体である魂が放り込まれて、はじめて「英雄」になるというしくみでした。

『Fate/stay night』の聖杯戦争では、ゲームの舞台に、セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーという、7種類のひな型(ガワ)があらかじめ先行して用意されています。

 その7種のガワにちょうどよく入る「中身」が、英霊の座から送り込まれて、サーヴァントとして活動可能になるというしくみになっていました。

 この「ガワが先行しているところに中身が送り込まれてくる」という構造は、Fate系統の作品の設定におけるキモ(のひとつ)といってよく、佐々木小次郎みたいな「本人が実在したかどうかはっきりしない英霊」を召喚するときの理屈としても使用されます。

 佐々木小次郎は、ほぼ伝承のみの存在で、実在しない。実在しない存在をサーヴァントとして召喚するとき、どんなメカニズムになっているのか。
 まず「伝説上の佐々木小次郎のイメージ」が、ガワとして用意される。
 次に、佐々木小次郎というガワに入る資格を持つ複数の(無名の)人物の中から、一人が選ばれてそこにスポっとおさまる。

『Fate/stay night』と『FGO』で召喚される佐々木小次郎は、「自分は生前、佐々木小次郎と名乗ったことはなく、ただ愚直に剣の修業をしたただの農民である」と言っていますよね。
 おそらく「燕返しを得意とする佐々木小次郎」というガワがまず用意され、そのあとで、英霊の座に登録された剣士の中から「燕返しを習得した者」がリストアップされ、その中の一名がガワの中に入って「佐々木小次郎」として冬木市なりカルデアなりに出現した。

 ここまでが前置き。


●『この人を見よ』

 ムアコックに『この人を見よ』というSF小説があります。1968年にネビュラ賞をとってます。

 あらすじを一言で言うと、「ノイローゼをわずらった精神科医が救いを求めてタイムマシンに乗り、キリストに会いに行く」というお話です。
(おっと、ジーザス・クライスト)

 ちょっと面白い指摘を先にしておきます。主人公グロガウアーは、タイムマシンで西暦28年にタイムスリップし、気を失って、洗礼者ヨハネに助け出されます(ちなみにこのヨハネさんは、ほら、サロメが首を切りたがっている人、ヨカナーンさんと同一人物)。

 ヨハネは主人公のことを、魔術師と書いて「メイガス」と呼ぶんです。

 ヨハネがいま、洞窟の外に立っていた。彼はグロガウアーに呼びかけていた。
「時間だぞ、魔術師(メイガス)」

マイクル・ムアコック『この人を見よ』早川書房 峯岸久訳 P.136


『Fate/stay night』に、印象的なシーンがありますね。セイバーと凛の初邂逅。凛が宝石魔術でセイバーを攻撃し、セイバーが対魔力スキルで無効化する。剣をつきつけ、セイバー、一言。

「今の魔術は見事だった、魔術師(メイガス)」

『Fate/stay night』


 私のとぼしい読書体験の範囲内でいえば、魔術師と書いてメイガスとフリガナを振る作品は、『この人を見よ』と『Fate/stay night』しか知らない。たぶんこのへんは、奈須きのこさんがムアコックから直接的にひっぱってきた表現だと思います。

 さて……。これ以降は『この人を見よ』のネタを全部割りますから各自ご対応下さい。


●「ガワが先行し、実体が後を追う」の元ネタ

 主人公とガールフレンドのあいだに、こんな会話があります。

「きみはこれまで、キリストという概念・・のことを考えたことはないのかい?」
(略)
「だが、どっちが先に来ただろう? キリストという概念だろうか、それともキリストという現実だろうか?」
(略)
「人びとがそれを求めている時には、とても考えられないような糸口からだって、偉大な宗教を作りあげるわ」
「ぼくのいっているのはまさにそれだよ、モニカ」彼の身振りに思わず熱がはいったので、彼女はちょっと身を引いた。「概念・・がキリストの現実・・に先行したんだよ

マイクル・ムアコック『この人を見よ』早川書房 峯岸久訳 P.104~105 ※傍線は引用者による


 引用部はこういうことを言っています。設問は「キリストという存在はいかにして発生したのか」。

 イエスという実在の人物がまず先行して存在し、実在のイエスのまわりにさまざまな伝説がくっついていって、現在キリスト教で語られるような救世主ジーザス・クライスト像が発生したのだろうか?(これが通常の考え方)

 主人公グロガウアーは、そうじゃなくて、こうだ、と言うわけです。まず最初に、我々が知っているような救世主キリストのイメージが実体よりも先にあの時代に存在し(「概念」として「先行」し)、その概念にあてはまるような人物が後付けであてはめられたんだと。

 概念が先行し、実体はそのあとでやってくる……。

 奈須きのこさんは絶対に読んでいる、と強く推定できる『この人を見よ』に、Fateシリーズの設定の肝といえる「ガワが先行し、中身がついてくる」というアイデアが、そのものズバリ、直接的に書かれている。

『この人を見よ』に、なぜこういう会話(概念が先行し、実体が追い付く)が書かれているかというと、この作品がまさにそういう事件を書いた物語だからです。

 主人公グロガウアーは、心を病み、キリストに会いたくなって、タイムマシンに飛び乗る。
 洗礼者ヨハネと出会う。
 洗礼者ヨハネは世界を変革する救世主を待ち望んでいる。
 ヨハネだけでなく多くの人々がそれを待ち望んでいる。
 主人公は、救い主であるナザレのイエスを探し求めて苦難の旅をする。
 だが、「伝説で語られているようなナザレのイエスはいない」ということがはっきりと確かめられてしまった。
 主人公は現代医学の知識があったので、傷病に苦しむ人々を助けてやることがあった。
 悩める人々に助言を与えることもあった。

 キリストの事績として語られていることが、自分の身の回りで起こりつつあることを、主人公は自覚し始める。そのあたりから、主人公も読者も、ある予感を胸に抱きながら、この物語を先に進めていくことになる……。

 主人公グロガウアーは、最終的に、ピラト総督によってゴルゴダの丘で処刑されます。人生をなげうってでも会いたいと思ったイエス・キリストとは、自分自身だった……という思い切った真相がどんとのしかかってくるのです。

 60年代という時代にキリスト教圏でこういう挑戦的な作品が書かれたのもけっこう驚きですし、『ゲド戦記』の一巻の内容を想起させる感じなのも興味深いですが(『影との戦い』と『この人を見よ』はともに1968年発表)、TYPE-MOON論的に注目したいポイントはふたつ。

 ひとつは前述のとおり。
 このお話は、「救い主というガワが先行しているところに、その中身として主人公が送り込まれる」物語だということです。

 主人公は、「実際にどんな人かはわからないがとにかくイエスに会いたい」ということで会いに行く。
 でもイエスはいない。
 西暦28年のヨルダン川流域には、「救い主があらわれてほしい」という機運だけがひたすら高まっている。
 でも救い主はいない。

 実体はまだないけど「こういうものがほしい」という願望だけがまず先行している。
 そこに、遠くから実体となるもの(主人公)が送り込まれてきて、救い主として、イエスとして機能しはじめるという仕掛けになっているのです。

 先にのべたとおり、「ガワが先行し、実体が後を追う」は、Fateシリーズの重要な部分を担う設定です。TYPE-MOONが(奈須きのこさんが)この設定を獲得するにあたって決定的な影響を与えたのはこの作品にちがいない。

 重要なポイントのもうひとつは、『この人を見よ』は「ジーザス・クライストはどこから来たのか」という問いに対して、これ以上ないくらい鮮烈な答案を出してきているということです。


●第三魔法タイムスリップ説

 このブログを通読されている方はご存じでしょうが、私の説では第一魔法の魔法使いはジーザス・クライストです。

 それに関しては以下の2記事を読んでいただくのが一番間違いありません。

 TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
 TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する

 いちおう要約を書いておきます。
(でも繰り返しますけど元記事を読んだ方がよいです)

 第一魔法の前に、まず第三魔法が存在したということになっています。

 第三魔法の使い手が西暦1年前後に姿を消し、第一魔法の使い手が西暦1年ごろに誕生したという設定があります。
 西暦1年というのはジーザス・クライストが誕生した年です。
 だから、第一魔法の使い手とジーザス・クライストは同一人物だろう、という素直な理解をしています。

 第三魔法は、魂の物質化……魂をむき身のままでこの世界に存在させるという魔法です。魂は無尽蔵のエネルギーを持っているので、だいたい望むことがなんでもできる。

 第三魔法の魔法使いは、西暦1年に、「魂が物質化された人間」を生み出した。このとき生まれたのがジーザス・クライストで、この人は生まれながらに無尽蔵のエネルギーを持った超人だった。

 ジーザスは、生まれ持ったエネルギーを使って、人類で初めて「根源の観測」に成功したので、人類は根源の力であるエーテル(真ではないほうのエーテル)を利用できるようになった。また、同様にエネルギーを使って「各地でまちまちだった地球全体の物理法則を一意に固定する」ということをした(この一連の事績が第一魔法)。

 というような話なのですが。
 私は基本、この理解でOKだと思っているので、これを前提に話を進めます。

 TYPE-MOONの魔法関連の設定には、「第三魔法は第一魔法より先行して存在した」という、ちょっと不思議な設定があって、微妙にひっかかっていました。

 ひっかかっていたので、「初期三魔法循環説」 みたいなものを模索していたわけです。
(これは今もありだと思っています)

 だけど、今ここに、「奈須きのこさんに決定的な影響を与えたと強く推定される『この人を見よ』」という強力な補助線があります。

『この人を見よ』は奈須きのこさんに強い影響を与えたと推定され、なおかつ、「ジーザス・クライスト誕生の秘密」を語る物語だ。

「ジーザス・クライストが第一魔法を実現した」という仮定をOKとする場合、この設定において『この人を見よ』の影響がなかったとは考えにくい。

・『この人を見よ』は、ジーザスの中身が未来からやってくる物語である(事実)。
・TYPE-MOONの第一魔法はジーザスが編み出した(推定)。
・ジーザスは第三魔法の産物である(推定)。
・第三魔法は第一魔法よりも先に存在していた(事実)。
・現代では、第三魔法は実現不能であり、再現のための研究が続けられている(事実)。


 これらの条件を足し合わせると、自然にこういうストーリーが組み立てられそうなのです。

・第三魔法は(現代からみて)これから実現される。
・第三魔法の魔法使いは、紀元前にタイムスリップする。
・第三魔法の魔法使いは、西暦1年ごろ、第三魔法の産物としてジーザス・クライストを生む。
・ジーザスは第一魔法を実現する。


 バリエーションとしては、こうでもいい。

・第三魔法は、神代の魔力がないと実現できないことがわかったので(などの理由で)、紀元前にタイムスリップする。

 ようするに、今後、第三魔法が実現したら、その魔法使いは過去のイスラエル周辺にタイムスリップし、魔法使い本人かその後継者が、のちに聖母マリアになる。そしてジーザスを生む。

 世界が第一魔法を実現する救世主を必要としたので、はるか未来という遠くから、それを実現しうる存在がその時代に送り込まれてくる。
(そういう存在の必要性が先行し、あてはまる者が後付けでやってくる)

 このアイデアのメリットは、

・「第三魔法は第一魔法に先行する」という設定の理由が説明できる。
・第一から第三はサイクル構造になっており循環する、という「初期三魔法循環説」がよりスマートになる。

 このアイデアを以後「第三魔法タイムスリップ説」と呼称することにします。

「第三魔法タイムスリップ説」の問題点……というか、ヒヤっとする点は、
「もし今後、第三魔法の開発が完全に途絶えたら、キリストの事績(第一魔法)が全部不成立になるので、世界はロジックエラーを起こして破綻する」
 ということです。

 でもたぶん、研究が続けられているかぎりは「それがいつかはわからないがそのうち成功するかもしれないので」ということで世界は存続しそうです。「いつかは必ず死ぬがそれは遠い先なのでまだ死なない」理論で静希草十郎が生き続けているのとおなじ。


●これってホントに採用されてる?

 以上のようなことを考えたので、こうして皆さんにお知らせしているわけですが、ちょっと自分で首をかしげているのは、
「これって、実際にTYPE-MOONの設定に採用されてるかな?」

 どうも感覚的に、採用されていない気がする。

 ただし、採用されていないにしても、奈須きのこさんはこういうアイデアを思いついていて、採用するかどうか検討しただろう……というところまではありえると思っています。そうするつもりだったけど、やめた、くらいの感じはありそう。

 第三魔法が第一魔法に先行するという設定は、「第三魔法タイムスリップ」を検討していたときのなごりだと考えると腑に落ちやすい。

 関連してもうひとつ、「検討された結果採用されなかったのかな」と思えるアイデアがあるので、以下それについて。


●衛宮士郎という名のキリスト

『Fate/stay night』の衛宮士郎は、「人々を救おうとして自己犠牲のかぎりを尽くした結果、救おうとした人々によって死刑に処される」という未来が予言されている男です。

 こちら で詳しく述べましたが、これは完全にイエス・キリスト伝説の語り直しです。
 衛宮士郎は「おまえはやがてキリストのような死に方をするだろう」と、未来の自分から予言された男です。

 そんな衛宮士郎、『Heaven's Feel』のラストで命を落としますが、イリヤの第三魔法(もどき)によって魂を保存され、のちに新しい身体を得て生き返ります。

 キリスト伝説では、イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)は、ゴルゴダの丘で死刑になるものの、生き返るのです。
「死んだけど生き返った」は、キリスト伝説およびキリスト教の教義における神髄です。衛宮士郎はキリストのように生きて死ぬことを予言され、キリストのように生き返った男なのでした。

 このことと「第三魔法タイムスリップ説」を足し合わせると、以下のようなストーリーもひょっとしてありえたんじゃないか。

 イリヤ(か桜)は士郎の魂を持ったまま西暦前夜のヨルダン川流域にタイムスリップする。
 そこで士郎を再生させる。
 士郎はキリストになる……。

 つまり、その時代、その土地において、キリストに相当するような救世主を「世界が」必要としている。
 ところが、キリストに該当する実体はそこには存在しない。
 そこで、遠い未来から、キリストという「ガワ」に入り込む資格を持つ人物の魂が召喚される……というようなイメージです。
 セイバーというひな型にアーサーが送り込まれるように、佐々木小次郎というひな型に燕返しの農民が送り込まれるように、キリストというひな型に衛宮士郎が送り込まれる……といったようなアイデアですね。

 だけど、実際には物語はそうはなっていません。だから、もし仮にこういうアイデアを奈須きのこさんが発想していたとしても、採用はされていません。

 採用はされていませんが(私でも採用しない。話が飛躍しすぎるし、元ネタの形が残りすぎている)、『Fate/stay night』の結末をどのようにしめくくろうか、というとき、いくつも浮かんだはずのアイデアの中に、これはあったんじゃないかなあ……というようなお話でした。以上です。

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魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか

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魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか
 筆者-Townmemory 初稿-2023年7月15日



 固有結界を実現している魔術理論“世界卵”という理論があるとされています。
 月姫リメイクに関して研究していた際に、「この世界観ではどのように宇宙創生がなされたか」ということを考える必要に迫られました。
 さまざまな情報を順列組み合わせしていたら、「あ、世界卵ってこういうこと?」という思いつきがポロッと落ちてきたのでかきとめておく次第です。

 当記事は「月姫リメイク」の研究に関連しています。

 以下の記事を、できれば順番にお読みいただくことを推奨します。
 月姫リメイク(1)原理血戒と大規定・上
 月姫リメイク(2)原理血戒と大規定・下
 月姫リメイク(3)ロアの転生回数とヴローヴに与えた術式
 月姫リメイク(4)ロアのイデア論・イデアブラッドって何よ
 月姫リメイク(5)マーリオゥ/ラウレンティス同一人物問題・逆行運河したいロア
 月姫リメイク(6)天体の卵の正体・古い宇宙・続マリ/ラウ問題
 月姫リメイク(7)すべてが阿良句博士のしわざ・ロアの転生回数再び


●森博嗣『笑わない数学者』

「月姫リメイク」シリーズ記事の第五回および第六回で取り上げた、天体の卵とビッグバン関係の話を、頭の中でゴチャゴチャ揉んでいたら、ハタと思いついたことがあったので書いときます。

 世界卵という謎のキーワードがあるでしょう。固有結界の魔術は、魔術理論「世界卵」に基づいている、という情報がありました。

(説明不要とも思いますが固有結界とは、人間の心象風景、ようは個人の中にある心理的イメージを、自分の周囲(現実世界)に上書きする魔術。自分の周りが自分に有利なルールになる。英霊エミヤの「アンリミテッドブレードワークス」など)

 心象風景の具現化とは、右下の図によって示した魔術理論“世界卵”によって説明される。つまり自己と世界を、境界をそのままにして入れ替えたものが固有結界だ。この時、自己と世界の大きさが入れ換わり、世界は小さな入れ物にすっぽりと閉じ込められる。この小さな世界が世界卵であり、理論の名前にもなっている。

『Fate/complete material vol.03 World material.』P.45


 右下の図というのはこれです(引用。著作権法第32条に基づく)。


『Fate/complete material vol.03 World material.』P.45


 私は、わりと長いこと、頭の中に「???」を浮かべたまま、「ははぁ、自分の内と外を入れ替えるのですね、なるほど」と、わかったようなわからないような感じのまま棚上げしておりました。

 が、このあいだふと思ったのが、
「あれ、奈須きのこさんて、森博嗣を読んでるよな?」

 奈須きのこさんが京極夏彦先生の熱心なフォロワーだというのはご自分でおっしゃっている通り。
 そして京極先生と森博嗣先生は同時期の作家で、並べて語られることが多い二人だ。
(以下、京極、森については敬称を略す)

 奈須きのこさんは森博嗣も読んでる可能性が高い。蒼崎橙子や阿良句寧子のような、「マッド研究者でもあり建築家でもある」というキャラクターの型は、たぶん森博嗣が書く真賀田四季博士から影響を受けているものと思う。月姫には「四季」というそのものずばりのネーミングも出てきますしね。
(余談だけど西尾維新さんの書く四季崎記紀も原型は真賀田博士だと思う)

(●2023年8月22日追記。『TYPE-MOON展』で奈須きのこさんの本棚を再現したコーナーに、『笑わない数学者』を含む森博嗣作品が並んでいたという情報が寄せられました。お知らせいただけたことに感謝! https://twitter.com/motumotion/status/1693926623601709504


 森博嗣の初期長編『笑わない数学者』の結末に、ほんっとうにすばらしいなぞなぞが書かれています。今からそのなぞと答えを、つまり物語の結末を引用によって明かしてしまいますから各自対応してください。私はこの作品大傑作だと思っていて、できたらご自分でフルサイズで読んだ方がいい。
 以下の引用は全て講談社ノベルズ版『笑わない数学者』のP.342~344からです。

 問題はこうです。

 お爺さんはまたにっこりと微笑んだ。そして、立ち上がり、地面に大きな円を一つ書いた。
 少女が呆れてみていると、お爺さんは円の中心に、きをつけの姿勢で立った。
(略)
「円の中心から、円をまたがないで、外に出られるかな……」お爺さんがゆっくりと言う。




 出題者のお爺さんが教えてくれる答えはこう。

 それから、指を一本立てる。そして、大きな円の中に立ったままで、
「ここが外だ」と言った。




 なぜそういう答えになるのか。お爺さんは円の中心に立って、こう説明する。

「この円を、大きくするんだよ。どんどん、どんどん、大きくしてごらん。地球はまるい。円はどうなるね?」
 少女は想像した。
 円がどんどん大きくなる。
 公園よりも大きくなる。街よりも……、そして、ついに地球の直径と同じ大きさになる。
 それから……?
 それから、地球の反対側に向かって、今度は円は小さくなる。
 あれ……?
「そうか! 中よりも……、外の方が、小さくなるんだ」少女はその発見に嬉しくなった。
「あっ! そうか……それで、そこが外ってことに……?」




 最後の一文がキマっていて、私はいろんなところで何度もマネしました。

「ねえ、中と外はどうやって決めるの?」
(略)
「君が決めるんだ」




●内と外は誰が決めたのか

 自分の外と、自分の中身を入れ替える固有結界の魔術理論「世界卵」の正体はこれじゃないかと思ったのです。

 さっきまでは「内側」だと信じて疑わなかったものが、認識を広げることひとつで、瞬時に「外側」になった。どちらが内でどちらが外かは、面積の大小とは関係ない。

 いま地面に描いた円が、「狭いほうの地面を閉じ込めたものなのか」「広いほうの地面を閉じ込めたものなのか」は、一意に決めることはできない。不定である。

 この話がすばらしいのは、内側と外側というのは絶対的な基準があるものではなく、相対的な概念にすぎないということを、最強にわかりやすく例示しているところだ。

「物体をいっさい動かさずに、内側にあったものを外に出すことは可能だ」

 その方法とは「概念を変更する」
 面積の広いほうが外側だ、というのは、単なる人間の思い込み、概念にすぎない。面積の狭いほうこそ外側だ、という形に概念を変更すれば、さっきまで内側にあったものは、即座に外側に存在することになる。

「内とか外とかいうのは、人間の認識が決めている概念にすぎない」

 おっと、概念?
 TYPE-MOON世界観で概念といえば、概念のレイヤーに作用する魔術や武器。

 たとえば、切っても突いても一切外傷を受けない無敵の怪物がいたとする。
 この怪物を倒すにはどうすればいいか。

 TYPE-MOON世界観では、あらゆる物体には、実体とは別のレイヤーに「概念」が先行して存在する。
 ここでいう概念というのは、たぶんですが、「この存在はこういうものです」ということを決めている定義書みたいなもの、情報。
 すべてのものは概念が先行していて、実体は概念に沿ったかたちで、後付けで作られる。

 なので、実体ではなく「概念」を直接壊すことができる武器や魔術があれば、この例における無敵の怪物は倒せる。「切っても突いても死なない」と決めている概念をじかにぶっこわしちゃうから。

 絶対に死なない怪物を倒すには、「絶対に死なない」と書かれている怪物の概念に「おまえはもう死んでる」とでも書き込んでやればいい。「私はもう死んでる」と書かれた概念を後追いして、実体も死ぬので、絶対に死なない怪物は死ぬ。


 ここに卵の殻がある。
 卵の外側と内側は、殻によって完全に遮断されている。
 殻の内側には白身と黄身が、殻の外側には世界がある……と、みんな思い込んでいる。

 だけど、卵の内と外って、空間の広さしか違いがないよね?
 卵の殻は、ふたつの空間を遮断する機能しかないのだから、見方によっては、「卵の外側が殻に包まれている」ともいえる。
 本質的なことを問うたら、卵の中身が殻によって包まれているのか、外の世界が殻によって包まれているのかは一意には決められない。

 だから、概念を、つまりものの見方を操作したら、「世界のすべては殻の中にあり、白身と黄身が殻の外にある」という状態は作れるのである。

 魔術を使って概念をそのように操作したら、あとは実体がついてくる。


 ここに人間のガワがある。
 人間の内側に心象世界があり、人間の外側に世界がある。
 しかし、「内と外というのは相対的な概念にすぎない」。
 よって、概念を操作することで……つまり「どちらが内でどちらが外なのかは私が決めることだ」とすることで、現実世界と心象世界をまるっと入れ替えることが可能であるはずだ。

 というのが「魔術理論“世界卵”」の正体だと思います。


●なぜ固有結界は「魔法に限りなく近い」のか

 この話はもっと広げることができそうだ。

 人間のガワを卵の殻に見立てて、外的世界と心象世界を入れ替えることが可能だということは……。

 一方では「自分の外部に心象世界を展開する」ということになるが、
 他方では、
「私の内部に世界の全てがある、私が世界である」


「宇宙の中に地球があり、地球の中に私がいる」という包含関係のモデルがあるとしよう。

 でも、内と外とは相対的な概念であり、入れ替えが可能であるとするのなら。

 私と地球の包含関係を入れ替えることができる。
 地球の中に私がいるのではなく、私の中に地球があるのである。

 地球と宇宙の包含関係も入れ替える。
 宇宙の中に地球があるのではなく、地球の中に宇宙があるのだ。

「私の中に地球があり、私の中の地球の中に宇宙があるのだ」。

 すなわち私こそが宇宙だ

「内と外とは相対的な関係にすぎない」というマジカルワードは、「今ここ」と「宇宙の最深部」を、概念の操作ひとつでまったく同一のアドレスに置くことを可能とする。

 宇宙の果てに存在する私という人間と、宇宙の最深部に存在する宇宙の中心は、内と外の関係を入れ替えることによって、重なることになる。入れ替えたら、私のいる今ここが、宇宙の中心となる。

 ここは向こうである。彼岸は此岸である。宇宙の果ては宇宙の中心である。

 そして、もし宇宙の中心に「根源」があるのなら。

 私の中心に根源がある。ここが根源である

 現状、「固有結界」の魔術は、自分の周囲のかなり限定された領域にしか展開できません。
 でも、もし仮に、「人間の内と外を入れ替える」を文字通り宇宙規模で行うことができたら。

 それは根源をまるごと手に入れたことになる。
 だから世界卵の理論を使った固有結界は、「魔法に限りなく近い魔術」と言われる、なんてのはなかなか平仄があっている感じです。


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